ノートの切れ端


ごくたまに、昔の自分のnoteを読むと、「えーこんな表現してるのぉ」 といういたたまれない気持ちになる事がある。嘘は書いて無いはずだが、今の自分がその時の自分に「そんな事考えてたん?」と思わず聞いてしまう。

まぁ、これがきっと日記の楽しみ方なんでしょう。noteを始めるまで、日記というのにチャレンジしても全然続かなかった。読んで下さる方がいて、モチベーションがあって初めて続いている。この先、どれくらい続くだろう?未来の事は分からないが、出来るだけ…と思う。

ーー


あぁ、そういえば数日だけ日記が続いた事があったなぁ。16歳。
2級に降級して、さらに降級点を取って、それで2-5くらいまで行ったんだっけな。まさかの3級が見えて来ていた頃、たまらず日記を書いたんだった。

なんで未だに憶えているかというと、その心の叫びが細くサラサラ書かれた、擦り切れたノートの切れ端。この紙切れを几帳面に机に挟んでいて、プロになった後に偶然読んで、クラっとなった事があって、強めに記憶に刻み込まれてしまったからです。

奨励会で将棋を指すのが苦しい、と書いていて、練習で将棋を指して楽しかったからホッとした。なんて事も書いてあった。もっと勉強しないと。という意識が文章の端々から感じられる。日記を書くことで自分を鼓舞して追い込もうとしていたと思う。


師匠に相談しにいく。とある。 これは憶えていて、辞めますと言って、もったいないよと言って貰った。

そうして何日か続いた日記。迎えた奨励会。

すごく久々に勝ち越して、なんとか降級点を消す。3級は遠ざかった。この時の事もなんとなく憶えている。本当にほっとした。

そしてその日を最後に日記は終わっている。なので、紙切れと表現出来る分量だ。

え、分かりやす!! ホッとしすぎやろ!! まだ降級点消しただけやぞ!!
せめて1級に戻るまで続けんかい!!

この日記を思い出す度に、日記のやめ時のあまりの分かりやすさに毎回笑ってしまう。ホッとして気が抜けたんだろうなぁ。

ーー

時が経ち、24歳になった。もう25歳が近い。

体調を崩してから気付いた事、意識して続けている事。この先回復していっても忘れないでいようと思う。
それはきっと大事なものだから。
ノート一杯にはメモ出来なくても、感情の切れ端を机に挟むくらいはしないといけない。

あの時の自分が、紙切れを捨てきれずに机に挟んだ気持ち。そのおかげで今気付ける事がある。書いて残すというのは、人間らしくて味のある行いだ。

さて、今度の日記はきっと長くなる。ノートの切れ端からnoteのつぶやきへ。


山本博志

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