なんとなくの追憶

9月になった。
外はうっすら涼しく、体が少し軽い。

季節の問題か色々効いているのか分からないが、アトピーが少しだけ楽になってきている。将棋に例えれば、少し相手の攻めが細くなってきたかな、という場面で、ここが一番危ないし肝心なところだ。しっかり丁寧に受け潰していきたい。

棋士になってから2年が経った。その頃、つまり2018年の9月の事は鮮明に思い出せるのだが、その1年前の2017年の9月の事はすぐには思い出せなかった。
カレンダーを開いて、その頃の予定を見た。あぁ!! 覚えてる覚えてる。

前半を見ると、
小倉一門研、阿部光瑠vs、順位戦記録、そして三段リーグ。
次の週にはアベケンvs、杉本vsとある。
本当にバリバリの棋士の方に教わっていたんだなぁ。感謝である。


週末には、友達に会う、という日があった。
この「友達」は元奨励会員で、今でも仲良い。僕のファッションの師匠で、一緒にコートを買いに行ったのだった。
そして驚くべきはこの友達の将棋の師匠が、なんと戸辺先生なのである。
今では戸辺先生は僕のカラオケの師匠でもあるから、少しややこしい。

コートを買った後、せっかくだからと戸辺先生と待ち合わせて、師弟の久々の再会にお邪魔する形で僕もご一緒した。確か、蒲田のステーキ屋だったな。
友達から、いかに戸辺先生に憧れているかとよく聞かされていた。奨励会の対局の時、必ず直筆の扇子を使っていたっけ。この世界には珍しい年の近い師弟で、ずっと、ちょっと羨ましかった。

戸辺先生とまともにお話したのはこの日が初めてだった。なのに、「山本くん、最近横歩取りを指してるらしいね。」と言われたのには驚いた。「横歩取りも悪くないけどね。」 明らかに不満気だった。
肉をほおばりながら、「振り飛車一本で行きなよー!」戸辺調の励ましで、なんとなく飛車を振る気になったのだった。

そしてご縁は続くもので、少し後、機会があってなぜかカラオケをご一緒して、帰る方向が一緒だったので電車で二人になった。
電車が動いて少しして、ずっと明るいトーンだった戸辺先生が真剣なトーンに変わった。
「今やれる事は全部やった方がいい。格上の先輩にも自分から研究会を申し込むべき。」と真剣な口調で言って来て、お酒で鈍った意識を慌てて鋭くした。急に真剣な話になって少しビックリしたのだ。

この人さっきまでカラオケであんな叫んでたのに…とチラッと思ったが、棋士の先生にそんな事を言われたのは初めてだった。
わざわざ「勉強しろ」などと言わない世界である。

帰ってから、疲れた体でグルグル考えた。どういうことなんだろう?

よく考えたら難しい事はない。そのままの意味である。とにかく将棋をやるしかないのだ。すぐに、友達から聞いた戸辺先生の連絡先に「将棋を教えて下さい。」と連絡したのだった。

ーー

思い出して、改めて戸辺さんに感謝と、懐かしい気持ちになった。(今では親しみを込めて戸辺さんと呼ばせて頂いている。)

あれから3年近く経った2020年の8月
23日に、僕がNHK杯に出場して、解説 戸辺誠七段で番組が放映された。
あの時からは想像も出来なかったことだ。人とのご縁と、未来の事は、全く予想できないしそれだけに面白い。

屋敷九段相手に詰みを逃して痛恨の僕。見かねた戸辺さんはパフェに連れて行ってくれた。
そして、戸辺さんとパフェを食べながらこの頃の話もしたのだった。読み上げの和田さんもふんふんと聞いてくれた。
和田さんが帰りに、この出口がNHKに近いですよと教えてくれたが、次はもう来ない事に気付いて悲しくなった。1年後、僕は渋谷にいるのだろうか? パフェは食べているだろうか? 全ては、未知だしこれから決まる事だ。

棋士は勝つ事で、未来を明るくする事が出来る。将来どうなるかは分からなくてもまずは目の前の一局。そして目の前の一手。

僕の24歳は始まったばかりだ。

山本博志

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