『Starting Over』

ご無沙汰しております。山本博志です。

暖かさすら感じる事も増えたが、このnoteの上では、「明けましておめでとうございます。」という事になってしまう。

時間が掛かってしまったが、ふと、またnoteを書いてみたいなと思った。

今回はどうしても暗めの話になる。


ここ数ヶ月、昨年2020年12月の半ばから、体調を崩していた。
正確に付け加えれば、さらに1年前の2019年の11月から、体調が思うようにいかない日が増え、騙し騙しやって来た中での事であった。

何回かダウンを奪われつつも、ファイティングポーズを取ることに賭けて毎回歯を食いしばって来たのだが、今回のダウンはいよいよ精神的にも参ったな、と思った。

自分がそれなりに不幸であったのと同時に、この上なく幸運で恵まれていた事は、多くの事から一旦手を放して、しっかりと休むことが許される環境にあった事だ。
本当に周りの方々のお陰である。

そして、月数回の公式戦以外はとにかく休む事に専念した。
この時、意識的にだが、将棋から気持ちを離した。禁忌である。
僕から将棋を取れば、残る物は無に近い。海に漂う藻みたいなものである。

痛みと痒みに全てを支配されている時期がしばらく続いた。薬を飲んで塗る。打てる手を打って、耐えるしかない。暗く深い海の底に沈んでいくようだった。
大事に抱きかかえていたものがプカプカと水面に浮かんで行く。"執着心"は自分の身体よりは軽い。
全てがリセットされるような感じがした。

振り返ると、「負けたら終わりだ。」と思いながら将棋を指していた節があった。
2019年の11月に最初に体調を崩してから、仕事や遊ぶ事が減って、結果的に将棋の時間が増えて成績が上向いた。「困難のお陰で」「将棋に向き合えました。」このストーリーを守りたかったし、執着していた。
自分を物語の主人公にする癖がある。イタイけど、自分の人生の主人公は自分である。"彼"には、その調子で頑張ってもらいたかった。速やかに結果を出して欲しかった。公式戦以外の事は極力休んでいる癖に、負ける姿は耐えられなかった。身体がしんどいという台詞は聞き飽きたので、言い訳はしないで欲しかった。例え痒みで寝れずに対局に向かったとしても、序盤から時間を使って深夜まで頑張って欲しかった。
それで、今回もギリギリまで身体の異変に気が付かなかった。もうその展開は飽きたよ…

ちゃんちゃん。 鬱展開過ぎて筆が進みません。一旦お休みです。

ーー

冬は寒く、厳しいが永遠ではない。所詮は一つの季節に過ぎない。
人生は長い。ほんの数ヶ月の事なんて、いくら中身が濃くても一章分にも満たないのである。

体調が戻るにつれて、少しづつ意欲が湧いてくる。戸惑ってしまう。あの絶望感は何だったんだ。ここからどうやってストーリーを展開すれば良いんだ?
「ところで余談だが、」
司馬遼太郎の坂の上の雲は好きな作品だ。或いはああやって、本編とは関係ない事で物語を彩っていくのも良いかもしれない。

棋士になれたからには絶対にトップを目指さないと行けない。と思っていて、そこから逆算して今の自分の姿の不甲斐なさを考えて、1回1回精神的にも肉体的にもダメージを受ける。という事を繰り返してきた。

ちょっと視点を変えて、目の前だけを見てみる方が健康的かも知れない。遠くを見過ぎて絶望する事の尊さは、十分思い知ったような気がする。
twitterで、思い詰めすぎでは?というようなコメントを頂いた事があった。意味がわからなかったが、今なら分かるような気がする。

今は、毎日の体調を意識する事がライフワークだ。昨日より調子が良ければ、それだけで嬉しい。それと、美味しいものを食べること。面白い動画を見て思っ切り笑うこと。

でも、やっぱり将棋だなぁ。
少しづつ再開して、楽しくてホッとした。僕の三間飛車はそこまで錆び付いてはいなかった。丹念に磨いて、綺麗にカッコよくする事に集中していこうと思う。キラキラした大舞台を追い求めるのも良いけど、今は、この広くはない部屋の隅っこで、少しづつ世界を広げていくんだ。

ーー

先日お世話になっているT先生から、Mr.childrenの「Starting Over」という曲を教わって、ハマっている。
曲名は日本語だと、やり直す、仕切り直し、という意味らしい。

歌詞が好きだ。以下引用。
「今度は躊躇などせずに、その引き金を引きたい」
「いくつもの選択肢と可能性に囲まれて、探してた望んでたものがぼやけていく」

そして、
「何かが終わり、また何かが始まるんだ。」

仕切り直して、少しずつ頑張って行こうと思います。

山本博志


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