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【第75回】学問の自由 #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話


1. 保障の趣旨

学問研究の成果が発表されると、時間、空間が絶対的なものではなく、相対的なものであるというように、時として人々の常識的感覚と異なることがあるだけでなく、時の為政者にとって都合が悪くなることがあります。反政府の言論のように、政府に都合の悪い学問研究については抑圧された、というのが歴史の教訓です。

中世のキリスト教会が天動説を唱えたガリレオに対し、教会の権威を害するものとして天動説を取り消させたことが、「それでも地球はまわる」という言葉とともに有名です。

進化論とキリスト教会との相性も良くありませんでしたが、実は、神社神道制と進化論の相性も良くありませんでした。進化論やそれに基づく「人獣同祖説」が、「天皇家を『天照大神』の直系の子孫として『大和民族』も同じく神の末裔」であるという、明治政府が採用していた神話的な歴史観と矛盾するからです。★日本でも、進化論が取締りの対象となったことがあります。

「天皇をもって現人神とし、かつ、日本国民をもって他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有するとの架空なる観念」を排斥し、天皇の神格を否定する詔書、いわゆる人間宣言(1946年1月1日)は、日本において進化論を「神」から解放する意味もあったと考えられます。

★西村祐一「日本憲政史における学問・教育の自由と課題」『憲法研究』第9巻44頁(信山社)2021年11月号

2. 明治憲法と学問の自由

明治憲法には、学問の自由に関する規定はありませんでした。明治憲法制定時に参考にされたといわれるプロシャ憲法には、「学問とその教授は自由である」(20条)という規定があったにもかかわらず。

「学問の自由」を独立した条文として設けるのは、ドイツ型の大学の特徴にあるといわれます。ドイツ型の大学とは「官立大学」という性格です。イギリス型のように、私立の学問共同体に比べて、官立大学は、資金提供者である国、つまり政治から介入を受けやすいからです。

ドイツの影響を受けた明治憲法には学問の自由の規定がなく、アメリカの影響を受けた日本国憲法になって規定されたというのは、日本の戦前の事情があるようです。

3. (天皇)機関説事件

明治憲法時代、学問の自由が侵害されたと考えられる例として、森戸辰男、矢内原忠雄、津田左右吉らの学者が、その学説を理由として、政治権力による圧迫を受けた例は数々あります。

天皇機関説とは、国家を法人であるとして、天皇は法人である国家の機関であるとする学説です。会社であれば、社員からどんなに尊敬されている創業者の社長さんであっても、法律的に見れば、法人である㈱〇〇の代表取締役という機関ですね、という説明です。

しかし、当時天皇は現人神でしたから、国家の機関とは不敬である、と考える人たちもいました。

事件のきっかけは、1935年2月19日の貴族院における議員菊池武夫の演説とされています。美濃部達吉の著書『憲法撮要』と『憲法精議』の名を挙げて、謀叛、叛逆だと演説したのです。

この年の3月、政府に天皇機関説の排撃を要望する決議、貴族院では政教刷新に関する建議を、衆議院では国体明徴決議をそれぞれ可決します。

これに対し、政府は4月9日、美濃部の憲法に関するいくつかの著書を発売禁止にし、同じ4月に、文部大臣が国体明徴の訓令を発します。

そして、美濃部達吉を出版法違反で取り調べ、起訴猶予処分にしました。美濃部達吉は、貴族院議員の辞職を余儀なくされたのです。

さらに、10月16日、政府は国体明徴の声明を発し、「天皇機関説は、神聖なるわが国体にもとり、その本義をあやまる」ものだとし、憲法学説の公定を明確にしました。

政府は、天皇を国家の機関とする学説を禁止するだけでなく、『国体の本義』という本を作って、公定の憲法学説を示し、それに従って教授すべきことを、全国の教員に命じました。

明治憲法の下では、このようなことが合法的に行われたのです。

当時、天皇機関説という学説の当否についての議論があったようですが、そのことは事件の本質ではないと考えられます。逆に、当時通説であったとされる天皇機関説が正しく、政府の『国体の本義』が誤っていたとしても、逆にこれを禁止して機関説を政府の公の説とすることも学問の自由に対する侵害にほかならないからです。

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