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【第68回】アクセス権④ 名誉毀損・不法行為を要件とする反論・訂正 #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

1. 当該メディアが第三者の場合

名誉毀損が成立している場合、訂正文なり反論文掲載請求権の問題を考えるに当たっては、メディアが第三者の場合と当事者の場合が考えられます。

謝罪広告事件では、政見放送などで名誉毀損が行われ、これに対する謝罪広告を新聞に掲載するというものでしたから、この場合、新聞社は名誉毀損事件に関しては第三者です。裁判で負けた被告から料金をもらって広告スペースを提供すればいいだけの話ですから、そもそもが「送り手」の側の表現の自由の問題というのはほとんどありません。

ところで、名誉毀損を理由とする不法行為が成立している場合に、民法第723条の規定を根拠にして、謝罪広告の掲載を命じることが憲法違反でないのであれば、倫理的な価値判断を強制するものではない訂正文や反論文の掲載を求めることは可能ではないかと思われます。

この点について、民法第723条のように適当な処分ということの解釈として個別に対応するよりは、別に法律で掲のしかたなどについてもっと詳細に規定することのほうが望ましい、とは言えますが、現行の法制度の運用として、この意味でのアクセス権は認められるべきと考えます。

したがって、訂正文や反論文の掲載の請求を認める内容の法律を現在の民法の規定とは別に制定したとしても、憲法違反とはならないと考えられます。

2. 当該メディアが当事者の場合

これに対し、メディア側が名誉毀損の加害者、当事者の場合は事情が違ってきます。被害者としては、申し訳程度の広告掲載では満足できないでしょうし、名誉権を回復するためには、名誉権を侵害されたのと同じスペースとインパクトをもって反論なり訂正を求めたいところです。

では、どれくらいのボリュームが適当でしょうか。こうなってくると、適当な処分という条文を根拠に、掲載スペースも決めてよいということになると、さすがに裁判所の裁量の域を超えているように感じられます。裁判所の裁量的な判断ということではなくて、法律で、あらかじめ反論文なり訂正文掲載についてのルールを決めておくべきとも考えられます。

しかし最高裁は、このような法律を作ることは、メディア側、「送り手」の表現の自由を制約するものことになることを指摘していました。そうすると、このような法律は表現の自由の制約になるので認められないのではないかが問題になりえます。

3. クリーンハンズの原則

結論的に言えば、このような法律を作ることも可能である、憲法違反にはならない、と考えます。

サンケイ新聞事件で最高裁は、「この制度が認められるときは、新聞を販売・発行する者にとっては、原記事が正しく、反論文は誤りであると確信している場合」や「反論文の内容がその編集方針によれば掲載すべきでないもの」であっても、掲載を強制され、「本来ならば他に利用できたはずの紙面を割かなければならなくなる」などの指摘をしています。時として、この判例を根拠に、反論権、アクセス権は認められないのだ、と論じられることがありますが、注意しなければならないのは、この事案は、不法行為が成立していない場合のものだ、ということです。

ここで問題としたいのは、名誉毀損に基づく不法行為であると認定された場合です。謝罪広告事件に関する最高裁の理屈でいえば、「今でもホントだと思っている」という抗弁は認められないことになるはずですし、他人の名誉を毀損するという不法行為を行っておいて、相手方の反論は編集方針があるので掲載すべきでないとか、ほかに紙面を割くべきつもりだなどというのは、「盗人猛々しい」というものではないでしょうか。

法律のことわざでいうと、クリーンハンズの原則、つまり、権利を主張する者は、きれいな手でなければならないという原則といったほうが上品かもしれません。これは、法の保護を受ける者は法を守る者でなければならない、裁判所に救済を求める場合には、後ろ暗い所があってはならないというものです。

サンケイ新聞事件は不法行為が成立していない、名誉毀損にあたらない場合であって、政治的な論戦を行うという、「送り手」の表現の自由を最も尊重しなければならない類型であったのに対して、名誉毀損が成立している場合、言い換えれば個人の人権侵害という類型については表現の自由を一方的に優先させるべきではなく、名誉権との調整が必要になります。

政治的な意見について萎縮的効果が働くことは避けなければなりませんが、個人の人権を侵害するかもしれないような表現については慎重にする、そして、確実な資料・根拠がなければ報じない、という程度の萎縮的効果は、むしろメディアとしては当然の責務として甘受すべきことだと考えられます。

4. ここでのまとめ

名誉毀損に基づく不法行為が成立している場合には、①メディアが第三者の場合で、被害者が加害者に訂正文・反論文の掲載を求めるという程度であれば、現在の民法723条の規定でアクセス権は認められるのではないか、②メディアが当事者、つまり加害者の場合で、紙面についても報道時と同等程度の訂正なり反論を求める権利は、法律で定めることも可能であると考えられます。

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