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マネジメントには最低限の仕組みと想いの共有が必要だよね、という話

(※見出しの画像は話題にあったものをAIで生成しています。笑)

会議で、
「この人、月の目標を達成していないので、制裁が必要なのではないか?」
という議論が起こった。
数ヶ月連続目標未達で、組織としては我慢の限界なのかもしれない。
いや、確かに、そういう痛みは必要だと思う。し、是正もしていかなくてはいけないのは確か。

痛み無しのマネジメントなんて、性善説であって、
私もどちらかというと性善説を信じたいニンゲンなのですが、
性善説だけで動くと、信じている方がすり減ったり痛い目を見ることは往々にしてある。
ので、罰則や制裁などは程度にはよるが、“痛み”は必要だと思って入る。

ただ、ちょっと待てよ、と。
逆に、目標達成した場合のバックはあるのか?

それがない中で、痛みだけ与える、というのは、
ある種の奴隷と一緒なのではないか、とも思う。

別に、誰も奴隷のように働いて欲しい、なんて思っていない。

とはいえ、達成できていない側も達成できていない側で、問題はある。
側から見ていて、仕事が作業化しているのではないか、と感じている。
(これは、目標の置き方の問題でもあるかもしれないが)

どうも、「お金をもらっているからやります」という思考に陥っているよう。
学生バイトでそれなら、まあまだ許せる。
(もちろん、学生バイトでも素晴らしい仕事をする人がいるという前提で)

だた、「おいおい、あんた社会人だぜ」と。私は思う。

本来、逆。「やるから、お金をもらえる」。
会社が期待したその人の価値を発揮するからお金がもらえる、のである。
だから、やらなかったら給料もらえないのは当然。
(これは、自戒も込めて…身の引き締まる思い)

そもそも、
なぜ、その仕事が必要とされているのか?
その人が会社にいる意義とは?
ということが無いまま働いている気もする。

これは完全に会社側の責任。
そこをしっかり浸透させることは大事。

私も、数字ばかりを追ってしまって、
実際に痛い目にあった経験があるが、
この傷が治るのには相当時間がかかるので…

ここは早めに手を打っていかねばな、と思った昼下がりでした。

仕組みと意識と想い、これがうまく噛み合って組織は回っていくんだなぁ。

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