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5. ジオパークで心を広げる社会的意義

社会にひろがる問題の1つに、不寛容があります。もっと簡単に言うと「差別」であり「いじめ」です。藤原章生の「差別の教室」(集英社新書)を読むと、人間が本質的に持つこれらの負の感情は防ぎようがないといった絶望に襲われます。それは、脆弱な人間が、猛獣が行き交う草原を生き抜く過程で獲得した脳の機能で、集団を維持し繁栄していくために、集団を維持するために邪魔な要素を排除する”正義”の実行をする際に脳内に快楽物質であるドーパミンが出るように仕組まれているようです(中野信子「脳の闇」新潮新書)。上記の仕組みは、脳に組み込まれているので、誰にでも、どこででも、起こり得ます。このような差別やいじめは、集団内での"正義”の発動であり、加害者の脳内では快楽物質ドーパミンが出ている訳であって、悪いことをしているとは思っていない。また、ある種の集団心理も働いているに違いありません。こうしたことは、集団のサイズが小さいときに発生しやすいのではないでしょうか?人口の少ない小さな集落や限られた数の学生で構成される教室などが該当する集団がその例でしょう。

1つ前の記事で、ジオパーク活動の重要な役割に『心をひろげる』ことがあると述べました。ジオパークに存在する地質遺産を通じて、地球規模の視野を持ち、『心をひろげる』ことが、上記の差別やいじめの問題に対処する1つの在り方ではないか?と思っています。ある社会的集団が存在すると、ほぼ自動的に、集団を守るための正義が発動し、差別が起こります。これを回避するには、その集団のサイズを限りなく大きくすることだと思います。ジオパーク活動を通じて、地球規模の視野を持ち、世界中のジオパークとネットワークを構築し、地球の仲間の規模を最大化させるのです。そこまで大きな話ではなくても、ジオパーク活動を通じて、『心をひろげる』ことに慣れた子ども達が、あらゆる集団内の活動において『心をひろげる』ことを自動的に発動させ、問題解決へ自らを導く力を得るかもしれません。

ここまで、理想主義的な話を述べてきました。世の中、そんな簡単じゃないよ。というご批判も最もだと思います。私も、社会全体、人間そのものの業を考えると事態をそこまで楽観できません。心を広げて、世界中で仲良くしましょう。世界で困っている人の幸せや、人類の未来のために、個人の欲望は抑制し、個人の幸せをすこしだけ我慢しましょう。そう言っても、表面的には賛成しても、実際の局面では、個人の幸せが優先されるに決まっています。地域の発展が、世界各地の社会的弱者の救済よりは優先されます。当たり前です。しかし、諦めるのもイヤじゃないですか。ですから、実際どうするか?というと、死ぬまでに自分の意見に賛同してくれる若い人を2人見つけます。そして、その人に「死ぬまでに、あなたの気持ちを分かるひとを2人見つけてください。」そのように頼みます。そうすると、人類の幸せを、個人の幸せより優先する人が、少しずつ増えていくに違いありません。人類はすぐには絶滅しません。何世代もかけて、少しずつ良い世界にしていく、1つの歯車として機能できれば、それで良いと思うしかありません。

このnoteの文章も、2人くらい賛同してくれないかな?そうだといいな。。。