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中途半端者で終わらせない

映像に写真にデザインに3DCG、クリエイティブな分野でも様々な活動をしてきた。

映像だけでも、YouTube編集にCM制作・MV撮影にドローン、アニメーション編集に色編集などの依頼をいただけた。

1つのジャンルを確立して、生涯を通して追求している表現者に嫉妬することがある。

私は性格上、1つのことが続かない。

それが苦になるのではなく、旺盛な好奇心が別の分野に触れようとする。

そのメリットもあるが、職人とも呼べる1つの分野を追求し続ける人はとても輝いてみえる。

発言にも活動にも1本大きな芯がありますし、一貫性を持った活動には必ず応援してくれる人が付く。

やっている活動内容は問いません、それがマニアックでもオルタナでも変態的でも反社会的でも『一貫性持った活動』自体につく一定のファンはいる。同じ方向を見ている仲間は増える。

しかし、私はそのようには中々なれなかった。
21年生きて分かった。この探究心や知識欲、なんと呼ぶべきか分からない衝動を抑えることはできない。

性格も、キャラクターも、夢も、思想も何もかも一分野の追求には向いていない。

そこで考えた。

色んな分野に手を出している自分に合うスタイル。

中途半端者と言われない方法を。

創作方法の種類においての一貫性はなくとも、コンセプトに一貫性を持てばいいんじゃないか。

そのような活動をしているロールモデルを探した。

そんな生き方と決意をここに書こう。

4年間かかった気付き


私は映像から創作の世界に入った。映像だけが全てだと、これで世界一になろうと思っていた。

そして、映像表現の学習を独学で2年間。同時に難しいと判断した3DCGは学校へ通う。「映像を極めて一貫性を持ってトップになる」それだけが当時の自分の全て。

フリーランスとしての活動を始めてから、失敗ばかり。自分の表現したいものと相手が望んでいるものが違くて、意見がぶつかったり、友人と遊んだ日も「良いインパクトのある動画を作れるか」を考えるばかり。

映像に呪われていた。


モノを作る人に対してざっくりだが、

  1. モノを作りたい人をクリエイター

  2. モノを使って表現したい人をアーティスト

  3. モノを売って稼ぎたい人をビジネスマン

と定義している。

その中でも自分の脳はクリエイター思考に犯されており、「ただ作ればいい」「映像の量をこなせ、とにかくクオリティだ」と先走っていた。

そんな活動を続けていると、とあるアーティストさんに長文で本音を送っていただいたり、仕事先で失敗したりと、何度も心が折れそうになりながらも自分自身の本当にやりたいことが見えてくる。

かつての自分は、方向性も決まらずコンセプトもなく、ガムシャラに手を出し、挙句の果てにそれがクライアントワークに干渉するほど。

4年もかかった。自分が表現したいことを胸を誇って語れるようになるまでDaVinci Resolveに。

私は「日常における希望」を表現したい。

そのコンセプトを一貫して、表現し続けたい。それを作って多くの人に届けたい。


思考の変化

この記事でも書いたが、人の心を動かすためには想いを届けることが必須なのだ。

過去の自分のよう、一貫性のない活動をただ必死にやっても誰の心にも刺ささらない。

本気の『想い』が届かないと、きっと何も成すことが出来ない。

作品とは器なので、中身を入れないと魅力的な物にならない。

『日常生活の中にある幸せや当たり前の魅力を届けたい』と想いを『希望なるもの。』というコンセプトで発信しようと決めた。

これついてはいずれ長文で書くが、まずコンセプトが決まったことで、映像の呪縛から解放されたのだ。

『映像は想いを表現する1つの手段でしかない』

今はこのように考えている。映像以外のジャンルに手を出したとしても、写真でもCGでも音楽でも、自分のコンセプトを表現し誰かに想いが届けばきっと中途半端者ではなく、一貫性を持った人間になれると。


3つの軸

しかし、この自己表現活動だけでは解決ができない問題があった。
お仕事と自身の成長の問題。

お仕事で自分に感性に全てを任せてくれる人もいるが、基本的にはクライアント側に決定権がある。その上で、専門家かつ現場の人間としてアドバイスや提示、注意喚起をして進めていく。

なので、お仕事というものは自分がやりたい表現ができない。過去のように無理に表現した先で人間関係を壊したくない。

あえて、別のバイトをしてという考え。

技術的な面や人間関係、映像の仕事で得れるメリットは多かったので、続けていきたい。


それに加えて、自身の成長の問題もあった。

自主制作は自分の生きる世界を描写するので、使う表現技法が広いとは言えない。

なので、3つの軸に分けよう。

1つ目は、クライアントアントワークを受けるサービスを運用する活動。

2つ目は、自身の表現の拡張と他のアーティストさんの表現にサポートし(MVなど)挑戦し続けるMAROという名義。

そして、3つ目に「希望なりうるもの。」を発信し、想いを届ける山口大空。


「3つに分けている時点で、一貫性がないじゃないか?」と言われたら悲しむが、この分けた判断を成功と呼べるように活動を続けたい。

かつて自身で分けた、ビジネスマンとクリエイター、アーティストという3つの軸で動くので、活動は忙しくなりそうだが、しっかりと進めたい。

最後に伝えたいのは、ビジネスやMAROで吸収したものを山口大空として世界に発信していくことを生きがいにしようと思う。

世界が山口大空を求めてくれるようになれば嬉しいし、その時が来ればMAROの活動は落ち着き、ビジネスの方は誰かが進めているだろう。

私である必要のないクライアントワークや
エゴのために作ったMAROもいつかは、自分の中でも消えるかもしれない。


しかし、どこまで行っても山口大空という人間は、『希望なりうるもの』を 表現し続ける。新たな技術を習得し、日常の素晴らしさに人が気づくよう。

私は中途半端者には、ならない。

自分だけの、自分にしかできないやり方で、一貫して表現を続ける。




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