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やっと憧れを消した。

こんな記事を書いた。憧れは、超えれない壁を短ら設定していると感じるので、それを捨てたいと。

創作においても道標としての憧れはまだ居ますので、それを捨てれるように成長し、超えたいと思います。

憧れを捨てる/山口大空

同じ群馬県で、参考にしている人は2人。デザイナーと映像クリエイター。
彼らは思考のレベルや技術力が高く素晴らしい作品を作っている。
ただ、憧れることはやめた。
かつて彼らの作品を見て衝撃を受けた時、自らを下に置き見上げていた。
それが反射的動作で、当たり前と呼ぶ行為だとしても、不思議と引っ掛かった。

その憧れへの違和感を解消すべく、思考した結果。
「憧れた結果、自然的に対象全体を持ち上げていないか?」そんな疑問が浮かぶ。

私が心を動かしたのは、彼らの作品と思考。もちろん、「クリエイターとして」や「アーティストとして」などの枕詞を用いれば、その生き方に性質・傾向上、作品と思考だけで十分と言えるかも知れない。
ただ、共感できない部分や自身の方が誇れる部分もある。肯定できないやり方や疑問に思うこともある。
生き方や人間的な部分、精神性。全てを総評した時、その人間の全てを肯定しているかのような『憧れ』を抱いていた判断を取り消した。
あくまで、客観視をした上で私より優れている部分の参考。彼らに対する認識は、それだけで良いと。
『憧れ』ではなく『グラフィックの参考』や『映像の参考』であれば、しっくりくる。

今後、憧れを設定するのであれば、精神性・生き方・オーラ・結果・人間関係・思考その全てにおいて、参考にしたいと思える人物が現れたときに用いる。

毎日、Todoで人物を次から次へと調べているが、写真家も映画監督も政治家も小説家も俳優も音楽家も。参考にする人は居ても憧れている人間はまだいない。

さらに、自分よりも年齢が上の人物は必ず越える存在だと、見ている。
それは、軽視してるわけでも、私が自信家なのでもなく。
情報の中でSNSもAIも当たり前に育ってきたZ世代、この世代は先人のやり方の吸収能力が高いので、超えなければ行けない。
怖いのは下の世代、誰にも憧れを持たず、私を教材の一つとしか見ていない後輩達の方がよっぽど怖い。私も進化をし続けよう。

憧れ。言葉を変えて目標やロールモデルに関しても今はいなった。強いて言えば、それは私が思い描く未来像。

憧れが自分を変える人もいるが、私は抹茶ブランド社長でも安室奈美恵さんのファンバーの店主でも西野亮廣さんのオンラインサロンの一員でもない。
唯一無二の道を作っていく。

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