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「お子さんは五年生」他(第6号・2002年5月10日発行)

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---◇ 山口“悟風”智・作「おかあさんへの手紙」◇--------------
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------------------------------- 第6号・2002年 5月10日発行 ----
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☆今週は、5年生トラック
 1981年度北海道富良野市立鳥沼小5年学年通信「つながり」より
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★お子さんは五年生

 五年生になって、ひと月近くなりました。
 “五年生ダゾ! 五年生” 何回こんな言葉をつかったでしょう。

 おかあさん、あなたは?

 叱り方ってむずかしいものですね。10回こごとを言いたいところを、五回ぐらいにおさえて、あとの五回は、何か言いたかったら、オダてて、ほめた方が効果的みたい——。

 口答えや反発(はんぱつ)が多くなり、友達や兄弟との比較などをいやがるようになる・・・だんだん メンコクなくなる。いやですね。

 でも、それが大切な成長の過程。自分というものを意識し出し、すこしずつ、すこしずつ自立心が芽生えてくる——。

 あれこれと こまかく言われることが うとましくなってくる そんな年頃(としごろ)です。わが子に自信をもって信頼して育てましょう。お子さんは、“五年生”なのですから——。

(1981年4月30日)

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★「山口大農園」が出来ました。

 四月の初めに、Oさんからトラック2台も土をいただき わが家のうらに、三年ぶりに農園ができました。広さ、およそ24平米(ヘーベ)、約十二坪ほどの「大」農園です。

 葱(ねぎ)とニラをAさんのおばあちゃんからいただき、2列に「ふちどり」に植え、緑町の住宅から、つつじや水仙、あじさいなどを移し、さて あとは何を植えようか——。

 茄子(なす)や胡瓜(きゅうり)、トマトも娘が大好きだし、キャベツもいるし、なんばんやピーマン、レタスもほしい。とうきびも食べたいな。人参、牛蒡(ごぼう)もいるし、しその葉、実もすこしほしい。南瓜(かぼちゃ)もほしいけど、はわせる場所がないな。大根に春菊にほうれん草、体菜、枝豆も食べたいし、ひょうたんもつくりたい。

 “あれーッ” 大農園だけど、大丈夫かな。

 “土いじり”の楽しみが増えた鳥沼の生活です。

(1981年5月9日)

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★白鳥学級のうた“いつも みんなで 翔(はばた)こう”

               詞曲 大津 哲太郎

一 今日も 大きく 翔こう
  僕ら白鳥 五年生
  体を鍛えて 健やかに
  楽しいクラス つくろうよ
  ぼくら鳥沼 五年生

 二 今日も 優しく 翔こう
   私は白鳥 五年生
   心を磨いて さわやかに
   明るいクラス 築こうよ
   私は鳥沼 五年生

  三 いつも みんなで 翔こう
    われら白鳥 五年生
    大空ひろく 限りなし
    平和な日本の いしずえに
    われら鳥沼 五年生

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 寒い日が続いて・・・ 困りますね。
 作物、いかがですか。
 学級畑に、豆やじゃがいもをつくります。
   秋には、学級収穫祭を予定しています。
        何かと ご協力を・・・・・・。

(1981年5月18日)
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☆来週は、6年生トラック
1982年度・富良野市立鳥沼小学校6年学年通信「つながり」より

山口“悟風”智のプロフィールは、
http://plaza.rakuten.co.jp/gofu63/profile/
をご覧下さい。
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 ◆編集後記「千鳥足」◆

 今回は北海道方言がちょっと出てきました。「お子さんは五年生」で「メンコクなくなる」は、「可愛くなくなる」。「『山口大農園』が出来ました。」の「とうきび」は、トウモロコシのことです。

 この他にも、多少の解説が必要な部分があるでしょう。「大農園」こと、家庭菜園の話です。

 父は1972年4月から77年3月まで風連町立風連中央小学校、続いて77年4月から79年3月まで名寄市立智南(ちなん)小学校に勤務していました。この期間、自宅前や裏庭に家庭菜園を持っており、かなり本格的に野菜や果物を作っていました。風連の時も、智南の時も、私の記憶でいうと、ざっと30メートル×15メートルぐらいの広さがありました。

 わが家はいわば、越後系屯田兵です。私の曽祖父、道之助が25歳の時、「屯田兵徴用試験」に合格し、現在の新潟県新発田市から北海道旭川市永山町に家族とともに移り住みました。祖父の代までは、農地を持っており、父は、農家の長男として育ちました。

 貧しく、旭川市街地の進学校に通学するだけの余裕がなかったといい、父は家から一番近かった永山農業高校(現・北海道旭川農業高等学校)に入りました。嫌々通ったそうですが、農高で「芋や南瓜を磨いた」(父の言葉)経験が後に生きて、家庭菜園につながったのです。

 農業高校卒業ですから、野菜や果物作りの腕前は、かなりのものだったようです。近所で農業経営をしていらっしゃる方が、父の菜園をのぞきに来て、「先生、そんなふうにやってるんだ」と感心していたと、母に聞いたことがあります。(ただし、母の話なので、8割方は割り引いて聞いておいたほうがいいかもしれません)。

 智南小が名寄市立名寄西小学校に統合され、79年4月、父は富良野市立鳥沼小学校に転勤しました。当初、学校近くの教員住宅に空きがなかったため、富良野市緑町にある住宅に引っ越しました。ここは、住宅密集地で、どう頑張っても自宅近くには、家庭菜園はできませんでした。しばらくして、鳥沼小に隣接する教員住宅に移ることになり、念願の菜園「経営」を再開できるようになったのです。その時に書いたのが、今回のコラムです。

 ここで、ちょっと問題なのは、鳥沼の「山口大農園」が「24」平米だったのか、「十二」坪だったのかということです。「24」平米なら、本当は7坪強。「十二」坪ならば、約40平米になります。少なくともどちらかは明らかな間違いなのですが、書いた本人は亡くなっていますし、以後の学年通信を読んでも、「訂正」は見当たりません。当時、私は家から約60キロ離れた高校に通うため、旭川市内に下宿していたので、記憶にもありません。というわけで、確認できず、原文のまま書きました。

 いずれにしても、畳でいうと、7坪なら14畳、12坪なら24畳という「大」農園ですから、今回のコラムに書き連ねたものすべてを、生産するだけのスペースはなかったはずです。

 その後の父の耕作意欲ですが、これはずっと衰えませんでした。1998年9月に亡くなった時の遺品にも、「山口農園の経営計画・実践関係」と表紙に書いた大学ノートが数冊見つかっています。どのノートにも、農園の土が、今も付着しています。

(発行者・山口一朗)

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■発行者: 「悟風の書斎」管理人・山口一朗
        yamaguchi_gofu@yahoo.co.jp
「悟風の書斎」http://www.asahi-net.or.jp/~jh2i-ymgc/gofu.html
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※トップの画像は、「鳥沼公園」makieniさん撮影。
鳥沼小学校に近い公園で、この写真は「photoAChttps://www.photo-ac.com/ よりご提供いただきました。ありがとうございました。

■「おことわり」

 ☆明らかな間違い以外は、基本的に筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。なお、原典では「Oさん」「Aさん」は固有名詞が入っていましたが、この復刻版ではイニシャルとしました。(編集者・悟風のムスコ)

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