2020年5月6日の書記

 朝、目が覚めてスマートフォンに手を伸ばしてからまず最初にTwitterを起動させた。呼吸をするように、無意識に。
 遠い世界のことのように異国の新型コロナウィルスの感染による死者数の数字をどこかのニュースサイトのツイートから見た。全世界で合計で万単位の死者が出ているという。感染者は数十万、数百万の世界。戦争のようだ、という感想がぼんやりと浮かぶ。昔世界史の授業を受けていた時、戦争による死者のあまりの数の多さに実感できなかった時に感じた思いに似ていた。イタリアである時一日の死者数が1000人を超えたといった耳を疑いたくなるようなニュースを聞いた時にはさすがに僕も言い知れぬ恐怖を感じざるを得なかった。
 外では先行きの見えない自粛に飽きた子供達のはしゃぐ声が聞こえる。住まいの近くに公園があるからそこからだろう。思えば三月の初めから学校が休校になり、新学期になった今も休校が解除されることなく今にまで来ているのだ。期せずして二ヶ月以上にも及ぶ長い長い春休みになっている。暴れたい盛りの子供が狭い家にずっと拘束が出来るわけがないな、と顔も知らない子供のまた知るわけのない親御さんの気持ちを勝手に想像して身勝手に同情した。
 その腕白な子供の声に重ねるように防災の声が街中に木霊した。
 緊急事態宣言が発令されています、不要不急の外出は控えるようにしてください。
 僕はその声を耳にしながら朝10時の少々遅い朝ごはんであるコーンフレークに牛乳をかけ、がりがりと歯で噛み砕きながら音を立てた。テレビをつけると相変わらずと言っていいほどワイドショーではコロナウィルスについてああだこうだと言っている。民放のチャンネルを変えても代わり映えのしない内容だ。NHKにしてみるとワイドショーのコメンテーターがギャアギャアと騒ぎたてていないかわりに緊急事態宣言発令中と物々しい字体がでかでかと掲げられた上でL字に画面が縁取られていて、僕が過ごしていた日常が非日常に侵食されていることを嫌というほど実感させられた。

 四月七日に政府による緊急事態宣言が発令されてからもうすぐで一ヶ月になる。五月六日までを期限としていたそれが五月末まで延長されることとなったのはつい先日のことだ。なんとなく分かり切ってはいたことだが、改めて再度そう断言されると気分が滅入ってくるのは正直な話。

 いつまで続くんだ!と誰に叩きつけて良いのかわからない苛立ちが募る毎日に、たまの楽しみである友人らとの会食やゲームセンターの遊戯、映画鑑賞、コンサートライブ、カラオケボックス、コミックマーケットと生きがいになるようなもの全てが自粛や中止になり、外に出歩くのも不要不急の外出は避けろと言われ続けるのは精神的にも堪えるものがあった。これまで出来た、やれたことの悉く全てができなくなっていることに落胆し、憤りを覚える。その憤りを発散しようにもバッティングセンターはやっていないし、スポーツジムはずっと閉まったままである。家で悶々と過ごしているにも限度があり、ひたすら寝て過ごそうにもそちらにも限界がある。引きこもることに然程抵抗のない僕ですら外で運動をしたいと思うほどなので、普段から活動的な方には今のこの状況下はさぞ地獄であるだろう。なるほどだからたまに外に出て食料品を買い出しに行くと以前にも増してジョギングをしている人を多く見受けられるわけだ。
 一ヶ月ほど前に新型コロナウィルスの感染拡大防止のための外出禁止令を敷かれた欧州の国(たしかイタリアだったか)で耐えきれずに犬の格好をして外に出た人がいるという面白ニュースを見たが、今ならなんとなくその人の気持ちがわかるような気がした。耐えきれなかったんだな、と四つん這いになって犬の真似をする映像を反芻しながらなかなか手に入らない紙マスクを装着して僕は玄関のドアを開けて外の世界へ足を踏み出した。

 東日本大震災が起きて計画停電が実装された時を思い出す。あの時は街の信号までもが消えていて、活気も人気もない異常な景色だった。2020年の今現在は計画停電が実施されているわけではないので信号機は通常運転であるけれど、店舗は非常運転である。シャッターは下され、そこには緊急事態宣言が発令されているため営業を自粛しておりますと記されている。よく見るとそのお店は一ヶ月近く営業をしていないことに気がついた。あの宣言が出された翌日から今までずっとお店を開けていない。
 当たり前の話を改めて書くと馬鹿だなと鼻で笑われるだろうが、あえて書くとお店を開けなければお客は入ってこないし金は落ちない。お金がなければ経営は破綻する。
この状態が続けば、僕が張り紙を見ているこのお店は潰れてしまう。簡単な話なのにひどく恐ろしい現実が目の前にあった。僕は自営業でないし飲食業でもエンターテイメントを提供する業種ではないが、もしそちら側にいたとなれば、僕は果たして今のこの状況下で生活が出来ただろうか。
 シャッター街と化した異世界を歩いていると、それなりに人とすれ違うものだった。僕のように家に居続けるのが限界を感じて、少ない時間で多少の日光を浴びて体を慣らしているのかもしれない。ただ、それにしては家族で団らんとして群れて歩いているのがいたり、マスクをつけずにジョギングやサイクリンクを楽しんでいる人がいるのが少々気にはなった。

 日に日に感染者は数を増やし、日本の中心である東京都では一日に百人を上回る日の方が多い。僕の住む神奈川も日に日に感染者の数は増え、感染が原因と見られる方の死者の数も出てきてしまっている。死に至る可能性を孕んだ病原菌は間違いなく僕の身の回りにもいる。
 ラジオを聴きながら歩いていると、コマーシャルの度々に神奈川県知事が今は神奈川県に来ないでくれと声を荒げていた。
 医療崩壊が既にはじまっていると言われ、一部の地域では自宅療養中に急変してそのまま亡くなってしまう方もいたと聞く。一日に千人以上が死んだ、異国の地で起こっているような惨事が起こる可能性は十二分にあり得る。
 僕がいつ感染者となるかはわからない。どれだけ対策をしたとしても、きっとその可能性を根絶やしにすることはできない。
 本当のものかはわからないが、インターネットでたまたま見てしまった、遺体を包む黒い袋が町中のそこここに無数に打ち捨てられ、無造作に重ねられた異国の短い映像が脳裏にフラッシュバックする。悪質な悪戯や出来の良いフェイク映像であるならば、と願わずにはいられない。

 僕は今生きている。生きて歴史の転換点にいると言える。凡庸な一市民として存在している。
 初夏の到来を感じさせるような汗ばむ雲のない晴天の下、生を終えて死んだように眠る藤沢の街を見て僕は物悲しくなった。
 震災の時とはまた違う静寂の中、シャッターを下ろして眠るカラオケ館やゲームセンターを横目に捉えながら歩いた。去年の今頃、休日や空いた時間にここで遊んでいたのになと懐かしみながらセンチメンタリズムを感じている。
 感染の収束の目処の立たない、立つはずのない現状。僕がこうして傷心を抱えて歩いている最中でも医療現場は戦場のようになっていると聞く。生活必需品を販売するために現在も稼働するスーパーやホームセンター、一部の家電量販店では今も感染のリスクを背負わされながら働いている人たちがいる。
 一方で営業自粛の要請という反強制を強いられて仕事ができない人達もいる。明日を生きるための資金を稼げず先行きが見えないことに悩んで店を畳んだり、果てに自らの命を絶ってしまわれる方も現状出てしまっている。あまりにも極端で、あまりにも残酷な出来事だ。
 2020年は僕にとっては夢のある近未来だった。2000年代初期ではその年は科学テクノロジーが発達している輝かしい時代として漫画やアニメで取り扱われるような異世界だったのだ。
 現実の2020年は確かに異世界めいてはいるけれど、僕の想像して望んでいたものとはまるで違う近未来だった。

 気にはなっていたけどなかなか足を踏み入れる勇気の出なかった個人経営の飲食店の店頭にテイクアウトのお弁当が陳列されているのを見て、僕は美味しそうだなと父の分を含めて二つ購入をした。作り立てらしいハンバーグ弁当の温もりがビニール袋を伝って感じられた。マスク越しからでもなんとなく伝わる年老いた店主の笑みに軽く頭を下げて会釈し踵を返して帰路につく。

 確かに今のことを思い悩むこともある。でも人間一人でなんとか出来るわけのないのに思い悩みすぎて心を患ってしまうのは良くないことだ。だからといって考えることを放棄して僕には関係がないと以前のような日常生活を過ごすのはまたそれは違う。
 考えすぎは良くはないが、考えることを止めてもいけない。出来ることを可能な限りやればいいのだ。
そのための三密を避けるだったり、マスクを着用して感染拡大を防いだり、極力家にいるステイホームだったり。
 こうして普段の日常を失ってしまった今、その平和な日常を取り戻すための戦が今なのだと思う。
 その僕の気持ちを代弁するかの如く、藤沢駅前にあるダイヤモンドヒルの垂れ幕に「自粛は闘いだべ。」と掲げられていた。

 だから今は為すべきと思ったことを為そう。
 今最前線で戦う人達の手を煩わせないように、粛々と今の異常な日常を過ごそう。いつか来る平穏な日常を待ち望んで。
 僕はそう心に言い聞かせて、弁当の蓋を取り外した。
 ただ、たまに気晴らしにする散歩だけは許してほしい。
 と、少し自分に飴を与えて箸でハンバーグのその柔らかい身を二つに割った。


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