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歯科治療中のアクロバット思考

「石巻で居酒屋をやってみよう」と思い立ったのは2020年10月、虫歯治療中のことだった。どの歯か忘れたがヤケに長い治療で、麻酔や止血含めて2時間近くかかった。こういう時は違うことを考えたほうがよいので、9月に見に行った空き店舗(現・山小屋。前の店は「素顔のままで」)のことをつらつら考えた。
一緒に店をやりましょうと誘っていた先輩が違うベクトルに向かい始め、メールしても返事が来なくなり不安になっていた。

先輩と下見した店。前のスナックが置いていったゴミが散乱していた(2020.9.23)
和風スナックだったのか、カウンター上に欄間と茅葺屋根。先輩は唖然としていた(2020.9.23)

歯科医先生の治療する手の圧力が顎や頬にのしかかり、グラインダーというのか電子器具でチュイーンゴリゴリと歯を削られるのを、解体されるマグロのごとく諦めきった体(てい)で委ねつつも、思考だけは何人たりとも邪魔させないのだと気丈に思考を重ねていった。

設定したテーマは「一人で店ができるか」だった。まずは時間のやりくり。週末を使えるかだ。当時、土曜はテニスレッスン、日曜は地域のお父さんたちとソフトボールの練習や試合が入っていた。娘が中高時代はPTA広報委員として休日返上で活動していた(特に高校は楽しかった)。新型コロナ蔓延1年目の秋で、9月30日に緊急事態宣言が解除されていたが、元の生活スタイルに戻る兆しは見えず、運動するにしても週末自転車に乗ったりオートテニスに通う程度。娘も春から大学生となり塾の送り迎えや弁当作りからも解放されていた。
「この20年、家事育児は十二分にやった。休みをもらってもいいだろう」
と勝手に思うことにした。またちょうどその頃、膝を痛めてしまい、テニスを辞めざるを得なくなり、震災後続けていたソフトボールも若いお父さんの台頭でポジションを返上したことも追い風になった。

深大寺ダルマーズ(2016年頃)

続いて金のやりくり。まず店の家賃が払えるか。テニス月謝や保険の解約、飲み食いを減らすなどすれば何とかなりそうだと、頭の中のソロバンが良さげな方向に導いてくれた。口の中のグリグリから逃げたい一心で「何とかなるか」と正常性バイアスがかかったともいえる。最後のうがいをしてエプロンを外された頃にはすでに「店をやろう。決まりだ」と意気高らか。病院を出て地下鉄に乗るや、石巻の同級生T子に興奮気味にメールした。
「店やるから手伝ってほしい」
それからずっとチャットして、11月から借りたいので保証人になってほしいこと、スタッフとして入ってほしいことを伝えた。週末に東京の家にある工具や資材を運び込む照明器具やストーブを買う、などと話しているうちに、ダルマストーブでおでんを煮ている画が浮かんだ。その瞬間、店の名前がふっと降りてきた。
「山小屋にしよう。いいよね?」
あれ? 返事がない。時計を見たら夜11時を回っていた。さては寝落ちしたな。

木材や工具を積み込んで石巻へ(2020.10.30)

あの日のことをよく思い出す。このチャレンジを決定づけた日だ。歯科治療のマグロ状態から、アクロバット思考を決めることが特技化していた。実は昨日も歯科治療中にさまざまなことを考え、とある結論を導き出したところだ。

「会社を辞めよう」