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1984年、カナダ人親子との出会い

高校3年の秋のこと。夕方、家にいると南浜町の従兄からの電話があった。「カナダ人の親子が家にいるからすぐ来い」という。仙台の予備校に通っている一つ上の従兄が仙石線車内で知り合ったという。どこに行くのか?と尋ねたら金華山(牡鹿半島の先にある島)に行きたい言うので、こんな時間じゃ行けないからうちに泊まれ、と連れて来たらしい。こりゃ面白いと自転車で駆けつけた。

40歳くらいの女性が9歳の娘を連れて世界中を旅しているという。自己紹介もそこそこに、どんなところに行ったか、どこが面白かったか聞いてみた。いや、そんなインタビュアー気取りじゃなく、従兄が英語でしゃべっているところにポツリポツリと加わった程度だ。

カナダと言われても大きすぎてピンと来ないが、彼女たちは西海岸バンクーバーからやって来た。西部は英語、東部の湖畔はフランス語ということぐらいは知っていた。時々知らない単語が出てきて英和辞典で都度調べながらの会話となった。wheet(小麦)なんて単語をその時初めて知ったものだ。
気になったのはその女の子の学校だった。カナダでは登校しなくても一定の成績を取れば進級できると言う。え、でも誰が教えてるの?と訊いたら「Me」と。教員免許を持っているので娘に教科書で教えているという。「これでもこの子は学校に行けば飛び級なのよ」とやや自慢げに話していたっけ。

この話にすぐ飛びついた。大学進学を目前に控え、行きたい学部を迷っていたからだ。マスコミ志望ではあったが、文学部や社会学部などどれが自分に合っているのか保留していた。

「学部なんて関係ないわ。私は教育学部を出たおかげで子供がいてもこうして自由に旅ができるけれど、それも正解と限らない。自分が何を学びたいかで選べばいいのよ」みたいなことを言われたと思う。少し楽になった。
9時を過ぎた頃、叔父がホロ酔いで帰ってきた。「んーなんだ? どこのお客さんだ?」とニタリ笑いで入ってきたので「He's drunk」と皆で笑った。そのあともいろいろ話したが女の子が眠たそうにしたので帰ることにした。

日本の旅を楽しんでと伝えたら「Your English is excellent」と褒められた。翌日金華山に行けたのだろうか? たった2、3時間のことだったが、世界に飛び出すドアがバーンと開いた気がした。こんな人がいる。どんなことだってできる。要は本人のやる気次第なのだ。

こんな小さな港町でまさかの体験。いまも時々思い出す。あの出会いがあればこその、今の人生だと感謝している。あの時9歳だった女の子も今なら40代後半、もしかして自分の子供を連れて世界を回っているかもしれない。ひょっとして、生まれ変わった石巻を自分の眼で見たかもしれないな。