第3回 ピックとわたし (2007年5月)

 さて今回はピックについて書きたいと思います。皆さんご存知だと思いますが、ギターやベースを弾く際に弦をはじく三角のやつです。よくかっこよく客席に投げる方もいますが、あれ、1枚100円するんですよね。客席に100円玉投げ込んでると考えると、なかなかバブリーな行為ですよね。
 自慢じゃないんですが、ぼくあんまりピック買ったことないんです!ある日、ライブ終演後にステージをウロウロしていると、そこらかしこにピックが落ちているではありませんか。セコイって言わないでください。時代はエコです。再利用、再利用。
 さて、ツアー先で地元情報誌の取材を受けた時のことでした。ライターの方が、取材したミュージシャンのピックをもらってコレクションしているとのことです。それぞれのピックに対するこだわりを聞いているそうです。これはまずい。ぼくは自分のピックを差し出し、正直にその出所をお話しました。ライターの方は明らかに半分呆れた苦笑いで言いました。
 「私のコレクションに加えさせていただきますよ。ウラニーノの山岸さんがステージで拾ったピック…と」。穴があったら奥深くに入りたい気分でありました。


(後記)
 落ちているピックを拾って使っていた。12年前は金がなかったのだと言い訳をしたいところだが、今はあるのかと聞かれるとなんとも答えづらい。しかし、少なくとも拾ったピックを使うことはなくなった。いっちょまえに、海外にオーダーして自分の名前入りのピックを使うようになった。
 しかし、今も昔もピックは本当にすぐになくす。ビニール傘と同じで、なんとなく世の中で使い回せばいいのではないかと思ったことさえある。
 ギタリストによっては激しいピッキングでピックが削れてすぐに使えなくなるという話もよく聞くが、ぼくはピックが削れるなんてことを体験したこともなければ、ライブ中に弦が切れたことも18年やってきて1回あったかな?くらいなもんである。ぼくの弾き方はよく言えばやさしく、悪く言えば軟弱なのである。ふにゃふにゃと弾いているのである。だから、ぼくにとってピックは消耗品ではないのだ。なくさなければ基本的に半永久的に使えるものなのだ。
 家には大量にあるのに、スタジオやライブでいざという時に1枚もないのもピックである。後年「あるよ」という曲を作り、その歌詞の中で「ポケットの中のピックみたいに手を突っ込めば意外とあるよ」と歌うのだが、正直、ふとした時にはあるくせに、本当にほしい時にないのがピックである。洗濯したパンツのポケットからこぼれ落ちることはよくあっても、「今使いたい」という時に、ポケットに手を突っ込んでも、意外とない。
 先述したように、海外にオーダーして自分だけのオリジナルピックを作るようになるのだが、オーダーの際に痛恨のミスを犯し自分の名前の綴りを間違えた誤植ピックが400枚届くことになる。それはまた後の話である。(2019.4.5)
 

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