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『うらはぐさ風土記』 中島京子著 (書評著者: 立川紘子)

 中島京子の「うらはぐさ風土記」は、東京武蔵野にあるという架空の町「うらはぐさ」を舞台にした長編小説だ。離婚を機に米国から帰国したばかりの田ノ岡沙希が、かつて伯父が住んでいた家に転がり込み、母校で教員をしながら個性的な人々と出会うところから始まる。
 この作品は、繊細な心理描写や深い人間洞察で知られる直木賞作家中島京子によって書かれており、壊滅的にへんてこりんな敬語を操る女子学生マーシーをはじめ、ゲイのカップル、生まれてこの方一度も就職をしたことのない高齢男性など、一風変わった人々が登場する群像劇でもある。読み手はユーモラスに描かれた個性的なキャラクターを通して社会に出て働くということ、結婚適齢期、認知症を患う人への認識、離婚や同性婚などについて、世間一般に流れる既成概念が自分の内側にもあったことに気づかされるだろう。沙希の穏やかな日常を描いたこの作品は、無意識のうちに様々な思い込みを内包している私たちを穏やかに、ゆるやかに、優しく解きほぐしながら鼓舞してくれているようだ。
 どこにでもありそうで、ひと昔前の日本を彷彿とさせる「うらはぐさ」。30年ぶりに日本の地を踏んだ沙希が、母校の女子大や昭和の風情が色濃く残る「あけび野商店街」の界隈を懐かしさのあまり繰り返し訪れ、当時の記憶をたぐり寄せ、重ね合わせながら、好奇心全開で古くて新しいモノを発見していく様子は読んでいて楽しい。彼女が間借りしている家の庭のみずみずしい自然描写も心を和ませてくれる。読み手はいつの間にか沙希と同化しながら物語世界にどんどん引き込まれていくだろう。
 そんな「うらはぐさ」に突如、再開発の波が押し寄せてくる。時の流れのなかで移り変わりゆく風景の過去現在未来を照射しながら、私たちは何を捨て、何を未来へ引き継いでゆくかの選択を迫られていることにハタ、と気づかされる。しかもその尺度は、個人のレベルから町全体にまで及ぶのだ。手放すには抵抗のある懐かしいモノたち。「残すか残さないか、伐るか伐らないか、壊すか壊さないか」とは作中の言葉だけれども、なんと、沙希が相談したのは認知症を患う伯父だった!どこか威厳をもってユーモラスに描かれるこの伯父は、「いいもんにあれしなさい」という摩訶不思議なアドバイスを彼女に与えて、その後の物語全体に影響を及ぼしてゆくー。
 庭の片隅には風知草とも呼ばれる裏葉草が、今日もひっそりと息づいている。その花言葉は「未来」だ。

(発表想定媒体 新聞書評欄)

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書評著者)2024年7月講座受講生 立川紘子さんのコメント

 これまで書評を読むことも、書くことにも興味がありませんでした。4か月前に初めて書評家・豊崎由美社長の講座を受講して、書評とは読者のためにあるのはもちろんのこと、一つの作品を多角的、複眼思考で読み解く力が求められていることに気がついて、とても魅力を感じました。これからもコツコツと書評を書き続けることで、文章表現力や洞察力を鍛えていきたいと思います。
 最後までお読みくださった方々、本当に有り難うございました。

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