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色々面白すぎる祖母が大好きだという話。

私は自他共に認めるおばあちゃん子だった。


物心ついた頃から同居していた祖母とは家族の誰よりも気が合ったし、5歳の時には両親を差し置いて祖母と2人で旅行に行くのも平気なぐらいだった。何なら自分の友達がうちにお泊りに来ても、私・友達・祖母で普通に盛り上がれたし、今思えば孫の友達との会話にようついて来れたな、おばあちゃん。

そんな祖母は色々とまあ、面白い人だった。

例えば。

近所の祖母友(御歳75歳)が乗る原付バイクに2人乗りして大正琴の教室に通っていた。もちろんノーヘル、大正琴は股に挟むスタイルで。

これをうちの母(祖母の娘)から聞いた時は声が出なかった。

「おばあちゃん、なんで2人乗り?!めっちゃ危ないし!毎日コミュニティバス来てるやん。それに乗っていってよ〜」とお願いするも、

「えー、だってバイクの方が早いやんか。それに○○さん(友達)は毎日乗ってるから慣れてはるし」

…いやそうやけども。後期高齢者2人で原付2人乗りとかマジで止めて。毎日原付乗ってスーパーへ買い物に行くその友達もスゴイけど。


例えば。

町(行政)管轄の土地を勝手に耕し、花や木を植えて自分ちの庭にしていた。

うちの実家は小さな川沿いにあるのだが、河原って川に降りるまで斜面になってる事が多い。そこを「ちょうどうちの裏やし雑草ばっかりやし、なんか見た目寂しいやん」という理由で家一軒分ぐらいの幅で何やら花を植え、よく分からない木を植樹した。毎年毎年綺麗な花を咲かせていた。うちの家の真裏だけお花畑。

そして「(斜面だと)降りるのに危ないから」という理由で勝手に石を植え込み、階段を作った。正確には私の父が鍬で土を掘り起こして3日がかりで作った。

「ほら、アンタも降りる時便利やろ?ハハハ!」

まあ他にも色々あるが、私は大正生まれの祖母がまわりの目を気にせず、自分の気持ちに正直に生きて人生謳歌しているのが羨ましくもあり、大好きだった。

ええとこのボンと見合い結婚したが、何か許せない事があったのか、すぐに子ども(私の母)を連れて家を出て、女手一つで育て上げた事とか、定年まで同じ会社で勤め上げ表彰された事とか、80歳の時には一人暮らしのお年寄りのお宅にお弁当を届けるボランティアでメニュー作成担当をしてた事とか、そこで知り合った友達と年に一回は旅行に行き、誕生日会を開いてもらえるほど皆から慕われていた事とか、80歳近くなってから携帯デビューしてメールのやりとりを覚えた事とか、言いたい事はハッキリ言う性格で隣家が増築工事をする事になった時「御宅のせいでうちのベランダの日当たりが悪くなる。どうしてくれるねん」と半ば(というかほぼ)クレームじみた申し入れをし、隣家に菓子折り持って来させた事とか…etc

とにかくいつもいつでも自分に正直で、いつも笑顔で(=外面が良くて)色んな所に友達がいて、毎日イキイキして楽しそうだった。本気でうちの祖母みたいに歳を取りたいと思っていた。


今の私は毎日が精一杯で、子育ても仕事も家事もなんかいつも何かに追われてる感じだし、祖母のように暮らしを楽しむ余裕も全然無い。理想のおばあちゃん像からは程遠いと自分でも思う。

でもうちのリビングに飾ってある祖母の写真をたまに覗き込んで思う、「今の私を見たらおばあちゃん何て言うかな?もっと力抜かなあかんでって言うかな」と。

今年は祖母の13回忌。このnoteを書くにあたり、久しぶりに祖母の事を長い時間考えた。じっくり思い出せる時間をもらえてこの文章を書きながら、少し幸せな気分になれた。

実家に帰ったらいつもよりいっぱい話をしてこようと思う。

#キナリ杯  #祖母の話





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