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Bon joviを聴いて日本の重曹になりたいと思った

私は5年連続音楽フェスに乗り込むくらいにはまぁまぁの平均的な音楽好きだけど、初めてBon jovi(CD)を聴いたときには驚いた。日本人の歌にはなかった何かがそこにはあった。倍音がどうだとか才能がどうだとかはまったくわからない。だけどどうしたって生まれた時からレジェンドみたいな輝きがそこにはあった。もし椿鬼奴でしかBon joviを聴いたことがないという人は一度聴いてみてほしい。爆発するみたいな衝撃が耳にとどまってしまう。もうどうしたって忘れられない。外タレのライブに行ったらこめかみがぶっ飛ぶんじゃないか。

とまぁ平均的な男子高校生と同じように私もBon joviに一時ハマったわけだが、またいつもの忙しくも暇でもない日常の渦に飲み込まれていった。

そんな時ある動画をみた。ロンドンの地下鉄で少し変わったおじさんがBon joviを歌う動画。最後には地下鉄全体に笑顔がふえるという仕掛けがあるのだが、この動画の評価はどうでもいい。そんなことより驚いたことがある。イギリス人はみんな歌が上手いのだ。合唱だから上手く聞こえるよねとかそんなレベルではない。みんなこんな声出るか?
そこで少し日本とイギリスの違いを考えてみた。

どうやらその場の雰囲気からしてロンドンでは人前で笑ったり歌ったりすることにそれほど抵抗がない。恥ずかしいという気持ちも日本のそれよりは少なそうだ。
日本ではどうだろう。日本の地下鉄では動画をみてクスッと笑ったり、鼻水ひとつ拭くのも抵抗がある。

場の雰囲気というのはものすごく重要だ。日本では基本的に表現することに対しての視線がつめたい。会議で発言する人には冷ややかな目を向け、ストリートミュージシャンには軽蔑のギフトを贈る。自分の子どもが家で歌っていたら「うるさい」と一喝してしまう親も少なくないだろう。おそらく歌手になるような子の多くは「上手だね、もう一曲歌ってくれる?」というような声かけをされてるだろう。ミキティもそんなエピソードを語っていた。

表現は場数だ。圧倒的な経験の成せるもの。幼少から顔色を窺う反復をした女子の駆け引きが男子中学生ではとうてい太刀打ちできないのも、さんまさんのしゃべりがうまいのも生まれつきではない。とにかく繰り返して"練習"している結果でしかない。

その場数はたいてい"楽しい"からしか生まれない。しゃべるのが楽しい。歌うのが楽しい。描くのが楽しい。そういう自分の根源的な欲求が次の行動に駆り立てる。それが日本では少し難しい。近所迷惑、他人の目、KY、マナー違反、見えないルール、世間体、そういうものがこの国には蔓延ってカレーの焦げつきくらい取れない。もう鍋ごと捨ててしまおうかと思うこともしばしばだ。

場の空気にはカレーの焦げつきで言うところの重曹みたいな存在がなくて、自分だけで解決しないといけない。もしそこに重曹がなければ歌手やアイドル、イラストレーターを目指すのはほぼ不可能だ。この国の重曹になりたい。そんなことを思った。ちなみに重曹でカレーの焦げつきが取れるかどうかはわからない。

ありがとうございます!先にお礼言っておきます!