見出し画像

ミツバチの事情(山人探訪アーカイブ)

(本アーカイブは、かつて山人-yamado-公式サイトで連載していたコラム「山人探訪」からの再掲載であり、note各記事とのあいだに時系列上の繋がりはありません。本記事は、2014年10月8日に掲載した記事です。)


身近に養蜂家の知り合いがいれば、ハチミツに興味を持った人間が最初にとる行動は、その人に対してこうお願いすることかもしれない。「ハチミツをつくっているところを見せてください」。

しかしそんなお願いをしようものなら、「私たちがハチミツをつくっているわけではないですよ」と、真顔で返されてしまうのがオチだろう。ハチミツをつくっているのは養蜂家ではなく、ミツバチなのである。

もちろん、そんなことはお互い承知の上なのだが、まじめな養蜂家ほどこのちがいにこだわる。ついでにいえば、そういう人が売っているハチミツほど信頼できる。なぜなら世の中には、加糖したり加熱したりと、たしかに人の手によって“造られている”ハチミツもあるからだ。

ハチミツの純度の話はさておき、養蜂家である。実のところ養蜂家は、私たちが出会う中でもかなり興味深い人たちだといえる。常識的に考えて、ハチミツが好きというだけで勤まるような仕事ではない。顔のまわりに防蜂ネットをたらし、まさに黒子のような格好でミツバチの活躍を支える彼らの目には、まちがいなく、私たちとはちがう景色が見えている。

「かわいいもんだ。おれが近づいていけば、『ジイ来たー!』なんて言って喜ぶんだ。『あいさつ代わりだー!』ってブスッと刺されるけどよ。そんなのは当たり前なんだ。一度に何十ヶ所と刺されることもある。だけどグイッと一杯やるとすぐ治るぞ。免疫がついてるんだな。最近は、刺されるのが快感になってきた」

冗談まじりにそう言って笑うのは、西和賀町湯本に住む養蜂家・小田島八郎(はちろう)さん。山人の朝食に出てくるハチミツは、彼が手がけたものだ。トチやアカシアから採蜜したこのハチミツは、雑味や癖がなく、まろやかで上品な甘さをもつのが特徴で、山人のベストセラー商品のひとつでもある。
現在72歳のハチロウさんは、養蜂歴30年、いうまでもなくこの道のベテランだ。ミツバチとハチミツについてユーモアたっぷりに語ってくれるが、話の合間にときおり見せる険しい表情から、のっぴきならない昨今の養蜂事情がうかがえる。

「今年はダメだった。年々採れなくなっているよ。春が暑かったからだ」

原因はさまざまあるが、気候がいちばんの問題だと彼はいう。
春が急激に暑くなって夏のようになれば、その時期に咲き誇っているはずの花は、もう夏かと勘違いして早めの店じまいをする。花の時期が短くなると、当然ながらミツバチが集められる花蜜の量も減ってしまうが、5月から6月にかけては、ミツバチと養蜂家にとっていちばんの稼ぎ時である。そこで思うように採蜜できなければ、あとが苦しい。

気候変動のみならず、過度な農薬の使用も大きな影を落としている。養蜂の世界にいると、自然界の総合的な状況がダイレクトに伝わってくるようだ。ハチミツの収穫量はその通りだが、ミツバチそのものが、世界規模での減少の憂き目にあっているらしい。すでにアメリカでは、オバマ大統領がミツバチの救済策を発令するまでに至った。

無論、単なるハチミツ欲しさにそうしているわけではない。ハチミツは自然が生み出したもっとも倫理的な甘味料だが、一方でハチは、世界中の作物の3分の1を受粉しているといわれる。農業が高度に工業化されたいまでも、市場やスーパーの青果売り場にならぶ園芸作物の多くが、ハチの受粉による恩恵をうけており、彼らの営みが私たちの生活にあたえる影響は計り知れない。ハチミツがなくても困らないという人は多いかもしれないが、ハチがいなくても困らないという人は、まずほとんどいないだろう。いかに蜂とハチミツを守っていくのか、Bee(ビー) Keeper(キーパー)たる養蜂家だけに、その重荷を背負わせるのは酷だ。

「実際、おれたちはハチから嫌われてる。ハチが一生懸命あつめた蜜を採っていくわけだからな。刺されて当然よ」

一匹のミツバチが一生をかけて集められる花蜜の量は、ティースプーンわずか一杯分にも満たない。その一滴の金色の蜜には、ミツバチと養蜂家が見てきた、その土地の有り様が凝縮されているといえよう。ハチミツは私たちの生活となんら関係なしに生まれるのではなく、自然に対する私たちの態度を、鏡のように映しだしているのである。

取材の途中、どうしても気になることがあって、八郎さんに聞いてみた。

「なぜ、養蜂を?」

彼は当然のように言った。

「おれがハチロウなんだもの。仲間なんだもの」

だれよりもミツバチを愛し、だれよりもミツバチに嫌われる養蜂家の、ひとつの生き様が見えたような気がした。


補足

記事中のハチロウさんは、2023年の夏に亡くなられました。現在は息子さんが、母であるハチロウさんの奥様と一緒に養蜂家業を続けていらっしゃり、山人も変わらないお付き合いをさせてもらっています。



いいなと思ったら応援しよう!

山人の創り方@Hikarusasaki
僕たちの活動へのご支援を受け付けております。いただいたサポートは、全額、従業員の職場環境改善のための費用として使わせていただき、1円単位ですべての利用明細を公開いたします。