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通信大学とわたし③ 佛教大学編(2021年4月~)

1.佛大選択の理由

2021年4月 佛教大学歴史学部歴史学科芸術文化コースに3年次編入で入学した。

目的は、学芸員として働くための「専門性」を身に着けることであった。
それに加えて、内心思っていたのは、はじめて通信大学で自分の興味のあることを思いっきり学んでみたいということである。それで食えるか食えないかとかは気にせず、ひたすら学びに没頭してみたかった。

さて、歴史を学ぶことは決めていたのだが、問題は歴史のうち何を専門とするかである。
最終的に私が選択したのは「仏教美術」であった。


山岳寺院「室生寺」2021年9月撮影

決め手は、中学校の時一人で初めて訪ねた寺「室生寺」の研究をしたかったためだ。
※この寺の歴史はめちゃくちゃ古く、今だに平安時代初めの建築や仏像が現存している。山岳寺院では日本最古級である。
自分の心に残る遺産を徹底的に学んでみたい。その思いに加え、仏教美術は、長く日本人の心を反映してきたタイムカプセルでもある。めちゃくちゃ古い時代から今まで、建築や仏像などの「モノ」が残っていることも面白さを感じた理由の一つだ。

また、歴史学専攻だと古文書をはじめとする文献との闘いに絶対に苦戦するだろうと予想して、こちらは諦めることにした。

かくして、「仏教美術」(美術史)を専攻しようと決意した。

では、どこの大学に進学するのが良いか。
候補は2つだった。なお、通学課程に編入も考えたが、学費が安価で働きながらでも学べる通信を今回も選択することにした。

佛教大学 歴史学部 歴史文化学科 芸術文化コース

京都芸術大学 芸術学科 歴史遺産コース

京芸大の方が興味関心は近かったのだが、学費の安さ・科目試験受験機会の多さ・多様な学部の人と交流できる点などを重視し佛大を選択した。
さらにコロナ禍によってスクーリングのオンライン化が激しく進んでいた。私は対面において、学友や先生と直に相対するスクーリングを渇望していたことから、オンライン科目が多くなっていた京芸大を敬遠、佛大に進学した。

しかし、この目論見は甘かった。佛大も入学後、ほとんどのスクーリングがオンライン化されていたのである。

しかし、どちらの大学も「実際に寺社に足を運び、文化財を目にしながら学ぶ」スクーリングがあったし、文化財について学べる自分にとっては魅力的な科目がたくさんあった。

思いっきり好きなことを学ぼうとする、4校目の大学生活が遂に始まった。

2.佛大生活、仕事と学び

佛大に入ってすぐ、レポートに着手した。
1つのレポート(2単位)につき原則3200文字という今まで在籍した通信大学で一番多い文字数に驚いた。
文字数が多いレポートは、とにかく多めの文字数(3500字ほど)から無駄な部分を省いたり、言い換えたりして文字数を減らしていく方式でレポートを作成していった。

正直言うと、佛大のレポート取り組みは、すごく楽しかった。(やっている時は必死だったが)

今まで資格のためのレポートしかやったことがなかったが、今回は興味がある分野である。既に入門書レベルの基礎知識が頭に入っていることで、テキストや参考資料が格段に読みやすくなっていた。
大学の学びはやはり、興味のあることが一番良い。色んな学部(体育学
・教育学・史学)に属してきて、これは心からいうことができる言葉だ。

印象に残っているレポート課題を一部紹介する。

課題
①「檀像について説明せよ」
②「和辻哲郎氏の『古寺巡礼』を読み、仏像の肉身表現について述べよ」
③「あなたが一番印象に残っている美術作品を一つ選び、その美術作品の特徴を述べよ」

①については、仏像に詳しい方ならとても簡単に記述できそうだが、入門者にとっては初見で「??」という感じだ。私も「檀像ってなんだろう」というところから入った。でもレポート課題に設定されるだけある。日本の仏像を学ぶにおいて絶対欠かせない用語だからだ。

③みたいなレポートはある程度自由が利くし、自分の書きやすい題材で書けることもあって、非常に取り組みやすかったし、何より興味があるものについて記述するのでやっていて楽しい。

下は、レポート・スクーリングの全単位取得画面。Tはテキスト履修(レポート+科目試験)SRはスクリーング+レポートの単位。テキスト系はびっくりする程順調に進んだ。

やりやすいレポートがさらによく進めたのは、仕事の変化も大きかった。

2021年の4月にはそれまで勤めていた美術館勤務の契約が終わり、アルバイトと佛大の学びを繰り返す日々となった。バイトは奈良国立博物館の展覧会に入るお客さんの案内誘導だった。なら仏像館の前で立っていると、「奈良の大仏さんはどこですか?」などよく聞かれた。学びが仕事で活かせるのは大変ありがたく、楽しいことである。
 
 
佛大での学びを続けながら、次の仕事はどうしようかと考えていた。
美術館・博物館で学芸員になってみたいが、今の自分の実力としては、実現は遥か先。最低でも修士(大学院卒)でないと難しいだろう。修士卒でもなれないことも多い。
 
かといって、歴史教師としてやっていくことはできるだろうか。こちらも勤務先が選べる訳ではなく、厳しい状況は続きそうだ。
 
なので現在とっている選択は、
複数都道府県に講師登録し、お声かけいただいた学校のうち、働けそうな学校で教員として働く。
一方で、大学での学びを積み上げていく(仕事になるかどうかは不明)。
 
ここに落ち着いたのである。
 
 
そして、21年の8月に某県の特別支援学校からお声かけいただき、再び教員としての勤務をはじめた。
さらに幸運なことに、美術や社会の授業を担当することができたのである。ここで子どもたちに美術や社会を指導しながら、自らはひたすら興味のある分野の仏教美術の学びを深めていく。
 
特別支援学校のいいところは教員数が多く、皆助け合おうという空気感が強いことである。一人にかかる重荷は少ないし、残業もそれほどない。また、土日に勤務がある日はほぼゼロ(あっても振休)だし、土日や夏休み・冬休み期間のスクーリングに出れないということはまずない。
 
こうして、周りの方の助けもあり、自分にとってはかなり学びやすい環境が整った。
 
 
6時30分に家を出て、17時(あるいは休みが取れたら15時)に勤務終了。その足で最寄りの図書館に行き資料を借りる。18時から21時くらいまでレポートを作成したり、日本美術の基礎を学ぶ。22時に帰宅・食事・就寝。
 
このような学びのルーティンを作った。「フルタイム勤務しながらの学びは大変でしょ?」とよく言われることがあるが、自分にとっては全く反対である。働いているからこそ、もし学べなかった時には「まあ仕事していたし、しょうがない」と考えられるし、頑張れたときは「働きながらこんなに学べたのはすごい!」と自画自賛することができる。ここで仕事がないと私の場合は結構厳しい。「勉強するしかない状況でやらないとはどういうことだ」と考えて落ちていくことが予想されるからである。
 
好きなことを毎日1時間でもいいから学ぶことをはじめたのもこの時期である。好きなことを学んでいる時間はめちゃくちゃ没頭感がある。これはものすごくエネルギーが湧いてくるし、気力が回復してくる。生活にとってはいいことづくしだと感じた、ぜひやってみることをおすすめしたい。1年ほど継続するだけで、相当その分野に強くなれること間違いなしである。

3.苦しみと楽しさを味わったスクーリング

レポートがサクサク進んでいった一方、スクーリングはオンラインばかりだった。私が感じたメリット・デメリットは次の通り。


<メリット>
・楽

→メリットはこれに尽きる。交通費がかからず、直前まで寝ていてもOK。いやむしろ寝ながらだって受講できるだろう。
 
<デメリット>
・実際に生のモノに見たり触れたりすることができない
・受講者同士や先生との雑談ができず、関係性をつくることが困難
・受講生同士の学び合い、教え合い(レポートなど)がやりづらい
 
私は対面のスクーリングでこそ、リアルを感じながら学ぶことのできる唯一のチャンスだと感じていた。社会人をしながら大学生をやっている人など一般的な職場などで言えばほぼ皆無だろう。だからこそ、スクーリングで仲間の存在に気付けること、話をすること、学び合うことこそが大いなる学びのモチベーションであるが、それがほぼないのは、かなり苦しい事態であった。
 
 
オンラインスクーリングが多いコロナ禍での通信大生活だが、対面でのスクーリングも少ないがあった。
入学から半年後の21年8月に初めて佛教大学へ登校した。講義室に入って驚き、なんと学生は3名だけだった。(私を含めて)びっくりである。スクーリングの講義というより、ゼミという感じだった。私が所属する歴史学部は、日本史コースの人数だけ多く、あとのコースは比較的少人数であることが分かった。芸術文化コースも然りである。
その少人数さゆえ、美術品について調べて発表するような課題では、一人ひとりの発表時間はかなり長くなる。負担はでかいが、その分、深い学びができる点はメリットだった。でも、もう少し人数がいた方が、いろんな作品を知れたり、作品についての意見や感想も様々なものになるから、それができなかったのは残念だ。
1年間で受講できるスクーリングは全て受講したのだが、結局同じコースのメンバーになり、ほぼ毎回同じ面子だった。もっと多様な人がいてくれた方が面白かったのになあとは思う。
 
 
そんな対面スクーリングでも面白かったものもあった。
実際に校外の寺社を訪ね、文化財に触れる授業である。私が受講した年は、松尾大社・広隆寺・比叡山延暦寺・相国寺承天閣美術館などを訪れた。これはめちゃくちゃ良かった。


弥勒菩薩(飛鳥時代/国宝)でおなじみの広隆寺。ここの宝物館は日本の仏教美術屈指の仏像が勢ぞろいしている。それだけあって、私語をしたらすぐ注意されるなど係員の厳しさも日本随一だ。


実際に文化財に触れながら、先生の考察を聞いたり、学生・教授間で意見を交わしたりできるのである。
京都の寺社を大学の先生などと巡る観光旅行などは盛んにおこなわれ人気を博しているが、それを大学の学びで、しかも超少人数でやれるというぜいたくさ、最高である。一つでも先生から吸収してやろうと、とにかく必死で仏像や絵画を見つづけた。「一流に触れる」ことで得られるものは計り知れない。先生たちがどのように文化財と接しているかを知って、自分の現在地も知って、自らの学びに邁進する最高の機会となった。
 

4.卒業論文とその後


 
2021年の12月ごろには早くも卒業論文以外の単位をすべて取り終えた。
 
残すは卒業論文のみである。
 
私は学部卒なのだが、その時は卒業に論文提出が必須でなかった。それに甘え、卒業論文を提出せぬまま、一度大学を卒業しているのである。
なんとか、「自分はこの研究をやった」と思えるものを作りたい。そういう思いもあって、現在の学びを続けている。
 
研究テーマに選んだのは「室生寺 五重塔について」である。

室生寺五重塔(2021年4月撮影)

一般的にはマイナーなお寺であるが、奈良の寺社が好きな人や日本史が好きな人は一度は見たことがあるはずのこの景色。

私はこの景色がたまらなく好きだ。五重塔を見せるのに、こんなに適した立地があるだろうか。石段の上にすぅーっと立つ姿は、なぜこんなにも違和感がなく自然に溶け込めるのか。

この景色が好きであると同時に、「なぜ」という疑問が無数に浮かび上がる。というか、疑問だらけである。
この塔をここに建てた理由は何なのか、この仏塔はどうしてここにずっとありづけたのか、これについて探求してみたいと思ったのだ。
どこまでのことが分かるのか、不明だが、この美しい景色の謎に迫りたいと思い、室生寺五重塔をテーマにした論文を執筆することにした。

現在(2023年1月)もまだ、卒論とは格闘中である。正直なかなか研究は進んでいない。目指していた最短卒業(2023年3月)は絶望的となった。でも、卒論が出せるように、学びと向き合っていこうと思う。

2022年の4月には現任校で引き続き勤務ができることになった。しかも学年も同じであったことが幸いし、周りの協力を得て、通信大の学びを継続できている。
好きな学びをやって、誰かの役に立つことは今は難しいかもしれない。自分の知的好奇心を満たすだけかもしれない。
でも、いつか、これをやっていて、誰かに喜んでもらえるようなことがしてみたい。それは、博物館学芸員のような分かりやすく人々に役立てる形ではないかもしれない。でも、やってみる価値は絶対あるだろう。何より、学んでいて自分が楽しいと思うなら、学ぶべきである。通信大学は、それをノーリスクでやらせてくれる場所だから、私は好きだ。仕事を辞めて、年間数百万を払って通学の大学に飛び込むことはできなかったが、今の仕事を継続しながら年間10~20万円ほどで好きな学びに向かっていく。私には本当にちょうどいいチャレンジ方法だった。

私は凡人中の凡人だと思うし、思い切ったチャレンジができるようなタイプではない。そんな私でも、小さなことの積み重ねで、目標だった歴史教師の仕事を経験できたり、学芸員の資格をとって美術館で働けたりできたのは、通信大学での学びがあったからである。

もちろんすべて簡単にはいかない。投げ出したくなる瞬間もいっぱいあったが、「あわてず、あせらず、あきらめず」やっていけば自分の納得のいく学びができるはずだと信じている。そしてそれはきっと、何かしらの形で誰かの役に立てるはずだ。

2023年1月14日 初稿




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