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通信大学とわたし① 日大編(2016年9月~2019年10月)

1.いきなり半年の挫折

2016年10月、日本大学通信教育課程へ入学した。
入学目的は、高校で歴史の先生をやりたかったためだ。
当時、22歳。大卒の新卒1年目で民間企業で働いていた。就活は自分なりには頑張ったつもりだったが、働いていてなんか頑張れないというか、もっとやりがいが欲しいなぁ・・・という思いを常に抱いていた。

「自分の好きを活かして仕事がしたい」

誰もが一度は考えることだとは思うが、私も考えてみた。
私が出した答えは「高校で歴史を教えてみたい」ということだった。小5の時にコーエーの真三國無双にはまって以来、歴史はずっと好きだった。4大進学の時も、日本史の配点が倍になる入試を使って大学へ入っていた。「これだったら、やりがいを持てるかもしれない!」そう思い、日大の門を叩いた。

高校地歴の免許が取れる大学のうち、日大を選んだのは、「スクーリング」が多かったためだ。通信大学を経験したことない私は、単独で学ぶより、大学の講義形式で学んだほうが、身になると考えたためである。この観点での選択は良かったと今でも思う。日大はスクーリングが最も充実してる通信大学の1つである。

さて、日大での通信大学生活がはじまるわけだが、前途多難であった。
「歴史は得意だから、とりあえず西洋史からねじ伏せてやろう…」と意気込んだものの、最初のレポート課題は

「百年戦争について論述せよ」(1600字以上2000字以内)

「いや、ざっくりしずぎだろ!だいたい百年戦争って何なんだよ!」
(※百年戦争:中世ヨーロッパにおいて起こったイギリスとフランスの戦争)
レポートの書き方が不明すぎる私は、とりあえず一番近い図書館で借りた「百年戦争」の本を片手にまず「ノート」にまとめるという、今考えるととんでもない悪手をやってしまった。1か月かけてじっくりノートを自己流にまとめ、そこから自己流にレポートを書いた。日大おなじみの手書きレポート作成である。(ちなみに手書きレポートを採用している大学は少ない。日大はその数少ない大学の一つである。)300字程度ならまだしも、数千字を書き写す労力はえげつない。レポートを1つ仕上げる頃にはだいたい手首が使い物にならなくなる。


大苦戦した法学のレポート 字の綺麗さが与える影響もあるかもと 頑張って丁寧に書く。この作業は大変だ。

むちゃくちゃ労力をかけて仕上げた日大初のレポート。その結果は…

評価D 不合格

「おいおいおい・・・嘘だろ、あんだけ頑張ったんだぞ。曲がりなりにも歴史は得意科目だったのに。」

ここで私の心は折れてしまった。そっと大学のレポートを机の中にしまい、次に出すのは半年後だった。

ここでの敗因は今となればよく分かる。通信大のレポートでは(程度の差はあれ)自己流が最も危険である。レポートには書き方がある。それを知らねばならない。

2.スクーリング楽しみ期

半ば諦めかけていた通信大学の学びを復活できたのはなぜか。
この年の末、私は会社を辞めた。そのタイミングでめちゃくちゃラッキーなことに特別支援学校で非常勤講師の勤務の話をいただき、はじめて学校で勤務が叶った。(※通学大学時代に中高体育の教免を取得していた)
学校現場での勤務は私に「社会を教えたい」思いに火をつけるのに最適な場所だった。とはいえ、レポートにはものすごい苦手意識がある。

そんな中、はじめてスクーリングに参加してみた。
実はこれがめちゃくちゃ面白かったのである。親に頼り切りだった通学大学時代と比べ、自分のお金削って時間を削って行っている日大である。やる気がでない訳がない。1個でも教える立場になったときに役立つことを学んで帰ろうという思いが、通信大学に前向きに向き合わせてくれた。

とりわけ、「社会科教育法」の授業は最高だった。
模擬授業という形で自分の腕を試せるのである。率先して模擬授業を行った私は、他の受講生にも認知してもらえ、たくさんの学友ができた。このことが本当に力になったのである。


授業で急遽実施したアンケート めちゃくちゃ詳しく書いてくれて感動。

そして日大の単位取得のシステムとして、スクーリングとレポートを絡めて提出することで単位が取れるというものある。

  • 先にレポート提出+スクーリング受講で単位完成

  • スクーリングを2回受講で単位完成

このシステムを利用し、少しずつだがレポートにも取り組みはじめた。スクーリングを絡めることで、取り組むレポートにも見通しが見え、各段にやりやすくなることも良かった。しかし何より良いのは、学友に尋ねることが可能になったことである。これで少しずつ、単位を取得していくことができた。私の通信大生活に一筋の光が差してきたのである。


くたくたになったレポート集 手書きが日大の伝統である。

またこの時、人生で初めて彼女ができた。日大通信で出会った人であった。遠距離恋愛だったが、彼女の存在もまた、学業を頑張ろうという気にさせてくれた。

3.立ちはだかるカモシュウ

しかし、良いことばかりではない。

2018年の4月には勤務校の任期が終了。なれない寮の監督業を別の学校で担当する仕事に就いた。この仕事は大変で人員も少なく、私は1か月ほどで退職してしまった。

それでも少しずつレポートは進んでいく、そんな私の前に立ちはだかったのが「科目修得試験」通称カモシュウである。通信大学の最もオーソドックスな単位の取り方が「レポート提出+科目修得試験」である。カモシュウは通信大学生には避けて通れない道なのである。
これはどのように対策すればよいか?シラバスにある科目修得試験のねらいを参照するのはもちろんだが、日大では過去問がなんと最寄りの書店で販売しているのである。これを参照することが大いに役立つこととなった。カモシュウの対策に過去問の入手はかなりキーになる。

カモシュウの過去問集 2年分を購入していました。

初めて行った会場は私立高校だった。そこで試験を受けていくのだが、とりわけ苦戦したのが持ち込み不可の試験である。持ち込み不可の科目は、可の科目より採点のハードルは下がるものの、自分の中に解答を書くネタが無いと、マジで何も書けない。整理するとこんな感じだ。

  • 持ち込み可→採点のハードルは高い。持ち込んだ資料から解答を検索する能力を問われる。

  • 持ち込み不可→採点はハードル低い。その場でどれだけ論述できるかなので、ヤマを当てれば勝ち。事前の準備が重要。

どちらも難しさはあった。しかし、落ちる試験が数回あったものの、再度のチャレンジで試験をパスし、単位を修得していくことができた。大学によって年間に試験を受けられる回数は決まっている。日大は年4回だった。今思うとかなりチャンスは少ない。

4.免許取得、そして…

そして、2019年9月、3年をかけて
中学校教諭一種免許状(社会)
高等学校教諭一種免許状(地理歴史)を取得することができた。

取得を確定させたときは、いろいろあったとはいえ、やはり嬉しかったし、頑張ってきて良かったと思えた。特に、学友など当時の仲間には今でも感謝は絶えない。
私が取得した免許状取得方法だが、※教員免許状別表第4という取得方法である。
※(すでに中高の教員免許を持っている人が別科目の免許状を取得するとき、教育実習など一部の科目を免除することができる。)
この取得方法の場合、最短2年での単位完成であったが、それより1年多い3年ちょうどでの免許取得となった。

今思うと心が折れていた最初の半年や、スクーリングしか取り組んでいない時期もあったため、本気で取り組めば最短も全然可能だったように感じる。

ただ、免許を取得したからといってすぐに教員の仕事がある(歴史を教える)訳ではない。

  • 教員採用試験に合格する

  • 講師として採用される

この2つのどちらかがない限り、学校で歴史を教えることはできない。その上、中高の社会科は最も免許取得者が多い科目である。それゆえ、枠に対して免許保持者が多い。これはどういうことか。中高(特に高校)歴史教師は簡単に言って人手が足りている仕事なのである。高校の日本史で採用される人はある都道府県では毎年2.3名ほどだったりする。

やはり、人生そんなに簡単には行かないか…

ひとまず、2019年は博物館職員をしたり、支援学校で講師をしたりしながら、独学で日本史を学びつつオファーがあるのを待った。

しかし、歴史教師の道の厳しさとどこか行き詰まり感を抱えた私は、別の道の模索も考え始めた。それが次の玉川大学編に繋がる。

日大編、お読みいただきありがとうございました。

2022年12月12日初稿


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