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家族と国家は共謀する

うすーい感想でスミマセン。

読んだ感想を言葉にすることができずにいます。いや、言葉にすることが怖いのだと思う。その海が深いことに気づいていて、でも、沖に行く勇気がなくて、浅瀬でバシャバシャしてるだけ。どうやって書いてもうすーい感想になってしまう。

でも、逃げててもいつまで経っても泳げるようにはならないから、ジタバタと言葉にしてみる。

信田さよ子さんの『家族と国家は共謀する』を読んだ。ソーシャルプランナー®のオンラインサロンで、かわのゆみこさんが読書解説会を開いてくださるということで、読んでから聞こうかなと思ってたのだけど、読んでみると奥が深い。

家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ
信田さよ子

時代背景を頭の片隅におきながら

信田さんが岐阜県生まれだとこの本を読んで初めて知った。後期高齢者と呼ばれるご年齢になられ、5月末で原宿カウンセリングセンターの所長を退任されたそうだ。『家族のゆくえは金しだい』を読んだときも感じたけど、その人が育ってきた時代背景を頭の片隅におきながら、「その物語」を聴いていくのはとても大事だと思った。

第一部の11月を講演期間とする3つの演劇の共演(比喩)の話は、めちゃくちゃわかりやすくて、それぞれの劇団がなにを大切にし、そこに予算がどれぐらいついているのかとか。3つのポスターが目に浮かぶし、劇団員がどんな人たちなのかも具体的に想像がつくので、なんてわかりやすい比喩なんだと思った。

例にだされたアキオとミネコの子に起きた悲しい出来事も、すぐ隣りにあるような状況が想像できる。わたしたちはみんな紙一重のところにいて、たまたま事件にならなかっただけ、たまたまラッキーだったに過ぎないのだと思った。

第二部のレジスタンスの話は、わたしには少し遠くてむずかしかった。映画『息子のまなざし』にでてくるオリヴィエの心情は、「そのお気持ちわかります」なんて、軽く口にしてはいけないと思った。深くふかく幾重にも重なり合った感情がそこにはあるのだと思う。

「あなたのために」という大義名分

付箋を2枚貼った(強調した)ところがある。

"夫の暴力を受けた妻が、自分の娘や息子へ「あなたのために」という大義名分を最大限利用して人生を支配していくことも、抑圧委譲の応用であろう。"

※政治学者の丸山眞男さんは「超国家主義の論理と心理」の中で、「敗戦の翌年,日本軍国主義の精神構造に真っ向から対峙し,抑圧が下位に移されていく「抑圧委譲の原理」と説明している。

信田さんは、(丸山眞男さんは1996年にお亡くなりになっているが、)21世紀になった今でも、表向きは非暴力化がすすむにつれて、さらに巧妙に、さらに狡猾になって行使され続けている。としている。

加害者が被害者でもあるということもあると思う。一つの側面からみたら、加害者であり、そこは罪を認め償うことも必要だが、ある側面から被害者でもあるのだから、被害者支援のアプローチも必要なのではないか。でも、そこに国家が邪魔をする。

わたしの中でふっとこんな物語が浮かんだ。

息子が母を殴った。母は「なんで殴るんだこんなに可愛がって育ててあげたのに、なぜ私を責めるのだ、私のどこが悪いのだ悪いのはお前じゃないか」と泣きじゃくる。そこへ騒ぎを聞きつけた警察が登場。息子は連行される。

殴るのはダメだ。息子=悪い。連行されて当然。母かわいそう。だいたいこう思うんじゃないか。

でも、こんなだったらどうだろう。

(息子35歳、母60歳。息子は毒になる親に育てられ、やりたいことも我慢し、母の機嫌を損ねないよう母が喜ぶようにと、自分の思いは捨て置き、いつもぐっと我慢してきた。だが、長年にわたる苦痛に耐えられず、ついにコップから水があふれた)息子が、母を殴った。「母はなんで殴るんだこんなに可愛がって育ててあげたのに、なぜ私を責めるのだ、私のどこが悪いのだ悪いのはお前じゃないか」と泣きじゃくる。そこへ騒ぎを聞きつけた警察が登場。息子は連行される。

殴るのはダメだ。(そうだ)息子=悪い。(そうか?)連行されて当然。(そうか?)母かわいそう。(それだけか?)ってならないかな?どうか息子さん警察で事情をちゃんと話して欲しい。そう願わずにいられない。

加害者にも被害者にもならないために

こんなことを頭に浮かべながら読み進み、また、付箋を多めに貼った箇所がある。

"DV防止キャンペーンのキャッチフレーズの中には、「加害者にも被害者にもならないために」といったものまである。暴力をふるわないことを掲げる意味はあるが、ふるわれないことを訴える必要があるのだろうか。加害がなければ被害はないのだから、まるで被害者になることがいけないようなキャンペーンには抵抗を覚えてしまう。"

「加害者にも被害者にも」といえば、Mr.Children 2004年 シフクノオトに収録されている「タガタメ」。(←リンクをクリックすると公式Youtube でライブが観れる。わたしは2015年の未完のライブにも行って生で聞いて、その時の映像が衝撃的で、なんとも言えないドシーンとした気持ちになったことを覚えている。かなり戦争のメッセージ性がつよい歌詞なのだけど、ライブ映像をみると更にビジュアルからも伝わってくるのだ。)

若干、横道にそれたが、2004年といえば、本の中にも出てくる長崎県佐世保市の女子児童の事件が起きた年だ。すでにアルバムが出ているので、この事件を書いたものではないと思うけど、2003年は自衛隊のイラク派遣が決まった年だったりするので、そんな背景もとらえながら聞くと、また違った印象になってくる。

違和感には敏感でいたい

「愛する以外にない」のか?本当に?と、うがった見方をする自分が嫌になるのだけど、ふっと湧いてしまった違和感には敏感でいたいと思う。

"家族で今起きている、微細で具体的かつ個別的なできごとが歴史的で構造的な背景を持っていることに気づき、知ることなくして、私たちは他者とつながれないのではないかと思う。
(中略)
知識はつながりを生むのだ。本書によって、そんなつながりが生まれることを期待している。"

オンラインサロンで読書会も開いてくださるということで、こういうつながりがとてもありがたく感じるのです。

徒然と。


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