堂々として
帰りは雨だった。朝からカッパを持参していたので、頭の先から足先までカッパをまとい、自転車で帰ってきた。
カッパはしっかりと着込んだが、カッパのスペックを上回る雨足だったので、染み込みながら帰宅した。
カッパを着るとフードで視界が遮られるし、雨粒が眼球に当たるし、身動き取りにくいし、汗もかいてくるから外から中からとにかくびしょびしょになる。そのびしょびしょの状態で、いそいそとママチャリをあたかも重たそうに立ち漕ぎして坂を上る。立ち漕ぎするから一層カッパの中は蒸れる。
ただ生活のために、仕方なしに、雨を甘んじて受け止めているのだと、すれ違う車のドライバー達からは見えていることだろう。
一方、僕の家路と反対方向へすれ違った高校生の自転車の主は、カッパもなくただ制服のカッターシャツを滴らせていた。その姿はなんかもう、堂々として、全てを受け入れているようだった。親に迎えに来てもらうなり、カッパを用意するなりできたはずだが、きっと雨の予報を見逃していたのだろう。
その雨に打たれる様は、「どうにでもなれ」といった自暴自棄な感じでも、「どうでもいいや」といった現世への諦めに似た様子でもない。
能動的に雨を受け、雨の空間と一体となり、達観しているかのような感じだった。リュックもモロ出しだから、教科書とかノートとか、スマホやAirPodsとかもびしょびしょに違いなくて、あー嫌だなーって。世捨て人になってもおかしくない。それにも関わらず、だ。
もうなんか、自転車を漕いでもいなかった。ただ単に下り坂だったのかもしれないが、漕がずとも進んでいる、そんな風に見えた。まるで座禅して微動だにしないお釈迦様が、筋斗雲らしきもので自在に空中移動するように。
僕はそのお釈迦様のような姿に感銘を受け、心晴れやかになって自転車のペダルが軽やかになったかというと、全然そんなことにはならなかった。