自分はどうかは取りあえずおいといて、信用貯金めっちゃ減ってる人
こんな話は自分のことを棚に上げないとできたもんじゃない。目も当てられない。
信用貯金という概念は便利だ。信頼貯金とか信頼残高とか言い回しは色々だけど、意味したいところは同じだろう。元はスティーブン・コヴィー氏の『7つの習慣』でうたわれた概念が、世代を超えて重宝されているんだと思う。
便利な概念だけに使い回された結果、信用貯金にとらわれている風潮を逆にディスる人もいる。
いずれにしても平たく言うと「信用があるかないか」の話なので、便利さの部分に乗っかって僕も用語として「信用貯金」を使う。
とにかく、(この人、信用貯金減ってるなー)と思う人はおる(この人をAとする)。Aの信用貯金がなぜ減るのかを考えると、"ちっさな期待外れ"の積み重ねなのかなと思う。
ちっさな期待外れ=3点
期待外れ=5点
裏切り=15点(一発免停)
的な。
裏切りまでいくと問答無用に信用はなくなるけど、
でも、
"期待外れ"というのは、Aにしてみれば知ったことではない。勝手に期待しているのは周りだ(周りの人をBとする)。
Bから期待されていることをAが気付いていない場合、勝手に期待されて勝手に信用貯金を減らすことになる。ふびんだ。
Bが期待してることはAには関係ない。Bが好きでしてることだ。もしAが、人からどう思われるかを気にする人でなければ、ふびんではあるが、信用貯金が減ろうが何しようが放っておけばいい。
しかし信用貯金が少々厄介なのは、半ば公開制度的な側面がある点だ。Bからの信用だけが減るならダメージは少ないが、Bから信用貯金が減らされて、その残高が他のCやD、不特定多数になぜか見られるから、Aも気にせずにはいられない。
周りになぜかバレるのが信用貯金の特徴だ。減ってたら社会的に色々しにくくなる。人と気持ちよく付き合おうと思うなら、残高は気にした方がいい。
僕は自分の信用貯金を維持するスペックは高くない。維持するにはだいぶエネルギーがいる。ただ限定した範囲の人達であれば、何とか貯金を保つだけのエネルギーは出せる。もうちょっと社会的な生活を送る必要はあるので、そのへん適度に適当にしていこかなと思う。