「断れない」人に伝えたい「断らない」方法
人と一緒に何かやるときに大切にしたいこと。
久しぶりに感じたことがあったので更新!
あのね、
私、断るのが苦手なんですよ。
「嫌なら断ったらいいやん!」と何度叱られてきたか分からない。あなたもそうじゃないですか?どうですか。
断れない理由
身近な人に「断るのが苦手な人」として扱われてきました。やりたくないときはやりたくないと言わなきゃだめだよって。すごく分かる。でも、これがなかなか断れないんだよなあ・・・
理由はいろいろあるんです。
頼りにしてもらうのが嬉しくて応えたくなっちゃったり、
やりたくないけど、やったら何か勉強になるかもと思っちゃったり。
(そういう時は大体、学びに昇華できずに終わる!)
「やりたくないなら、やらんかったらいいやん」と言われるたびに、いやもうそれホント正論!よし!私もやりたくないことは断るぞと意気込んでみて、萎えて、持ち直しての繰り返し。30代になってようやく、断ったりスルーしたりする力がついてきた気がします。少し。
でもさー。
それはそれでさ、後々引きずるものがあったりもするんですよ。
せっかく声かけてくれたのになあとか、やっぱりやっておいたら良かったかもしれないとか。ひどいと、誘ってくれた相手と再会するのが億劫になって避けちゃったりとか。
とにかく、私にとっては断ることも心労の一つなんですよね・・・。
つまりは断らなくて済むならば一番気が楽。でも、誘われたからってなんでもかんでもやって心身壊した過去がある。繰り返すわけにはいかない。でも、なんか危うい自分。
なんか良い方法ないのかなと思っていた今日この頃でした。
コーヒーを2杯
そんな中。
今日、コーヒーを2杯飲みました。
1杯目はカフェで。
お互い認識はあったけれど、挨拶以外の会話はしたことがないと思われる、ほぼ初対面の人と。
お互いのやりたいことが重なって、やれそうな感触があって。でも勢いだけじゃなく、ちゃんと建設的な話し合いができました。具体的な宿題も共有。
2杯目はとある工房で。
大学院生の仲間で、最近再会した友人と。定期的に近況報告をしてる中で、こんなことやりたいんだけど一緒にどう?とお声かけをもらって、こちらも具体的な宿題を持って帰って解散。
帰宅して「今日コーヒー2杯飲んだな」と振り返る。「どっちも良い話ができたな」という満足感であたたかい。持って帰ってきた宿題に早く取り掛かりたい気持ち。
ふと、なんでこんなに前向きに終われたんだろう?と思い始めました。
どっちも「一緒にやろうよ」とお声かけをいただいたのが嬉しかったのか?
いや、お誘いのすべてが自分にとって良いものだとは限らない。つまりはやりたくないお誘いだってこれまでは沢山いただいていたわけで、そのたびに断りにくくて受けちゃって、あとでモヤモヤしてたのに。
そうか。今回はどちらのお誘いも「自分のやりたいこと」もしくは「やりたいことと直接つながること」だったから、この満足感なのか。すごいラッキーな日だったなと思ってしばらく。
ん? これラッキーじゃないのでは?
いただくお誘いの全てが「自分のやりたいこと」ならば、断らなくてもいい。そしてこの2杯分のコーヒーミーティングは、たまたま幸運が重なったわけではなく、そういう形にうまく持って行けたケースなんじゃないか?
そしてやっと気付いたのです。
あ、やりたいことだけ誘ってもらえる人になればいいんだ
これを「お誘いの正解率が高い人になる」と言い変えよう。「お誘いの正解率」ってなんか、なんだか。すごいことを思いついた気がする。でも、そんなの当たり前でしょ?と言われそうでもある。無意識にこれが出来てる人って沢山いるんだろうなあ。私は出来てなかった。意識的に正解率上げていかんとなと思うのです。
じゃあ具体的に何をしていれば「お誘いの正解率」が上がるのか。
その①|やりたいことをやって見せておく
やりたいこと、つまり今の私はデザインや脚本のお仕事をしたい。お芝居に関することもどんどんやりたい。
それをやりながら、見える形で発信しておく。私の場合はSNSやHPで見える化したり、芝居だと具体的な形・成果物にして見せていく。
「やってること」=「やりたいこと」になっていて、かつ他の人の目に触れる頻度をあげる。
そうすることで誰かが何かやりたいとき、「そういえば山田がやってるわ」と思い出してもらえる。
逆に言えば、「やってること」=「やりたくないこと」だと、「そういえば山田がやってるわ」と思い出されて、「やりたくないこと」のお誘いが集まってきてしまうリスクがある。
やりたくなくてもやらなきゃいけないことってたくさんある。それは仕方ない部分あるけれど、積極的に発信していくのは「やりたいこと」にしたいな。
その②|やりたいことを宣言しておく
今日の1杯目のコーヒーはまさにこの方法。フェイスブックで宣言した「やりたいこと」をその方が見つけてくれて「自分もやりたいと思ってた」と声をかけてくれた形。
なんかね、やりたいことを宣言するってちょっと恥ずかしいなって思っていた頃があります。「山田、そんなことやりたいの?ぷぷぷ」って笑われないかなってさ。
よくよく考えたら人のやりたい気持ちを笑う人ってすごく少ないし、そういう人とは一緒にできなくてもいい。人のやりたいことに興味がない人も多いだろうし。
宣言しておけば、どこかで誰かとつながる可能性があるけれど、黙ってたら絶対にお誘いは舞い込んでこないんだなあ。当たり前だけど、やっぱり大事なんだなと実感したのでした。
その③|やりたいことの解像度を上げ続ける
そもそも自分の「やりたいこと」って分からなくないですか?昔はそれが分からなくて本当に苦労しました。やってて楽しいことはたくさんあっても、その楽しさは何によるものなのかが分からない。自分自身がうれしいのか、人がうれしいことがうれしいのか。だから楽しそうと思ったら全部飛び込んで、それはそれで得たものももちろんあるけれど、それ以上の疲労がすごかった。若かったからできたのかな。
じゃあ今、やりたいことが100%はっきりしてるかというと分からない。し、これから変わっていく可能性も大きい。
だからいつも自分の「やりたいこと」を、やってて何が楽しいのかとか、どういう風にできると満足できるのかとか。考えて言語化した方がいいなと思うのです。
そうやって解像度を上げながら発信すれば、お誘い内容もより自分のやりたいことに近いものになる。正解率が上がる。やったね!
断れない人に伝えたい
断ることがつらいならば、断らない=断らなくて済むように上手く持っていく手もあるんじゃないか?というお話でした。
もちろん、断らない方がいいケースも時にはあるだろうから、ケースバイケースでどうぞ・・・
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