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「IVSで『日本流Well-Being』の対談」という尖り散らかした企画の成功のためにモデレーターとして考えたこと・気を配ったこと・反省等の雑記

まずは、IVS KYOTO2024に参加された皆さん、何より運営の皆さん、お疲れ様でした。ネットワーキングへの苦手意識から不安満載でしたが、おかげさまでしっかり楽しめました。だいぶ今更ですが、振り返りをnoteに残したく筆を執りました。

前書き

本記事は、DAY3はイエローステージで開催された「日本流Well-Beingの模索〜ココロ、カラダ、シゼン、キカイの調和〜」セッションについて、モデレーター視点であれこれ書き残しておこうという申し送り的な意図で書き始めています。というのも、尖り散らかたテーマの割に評判がよかったんです!単に手応えがあったというより、声として「最高でした!」「IVS1良かった!」などと言っていただいたのです。(感謝感激!)もちろん、手放しに「IVS1なんや!」とは思っていません。ただ、どうしてそのような声をいただけたのだろうかということついて、現場の対話に最もセンサーを張り巡らせていたであろうモデレーターの視点から書き残しておくことは、いくらかの人にとって意義があると思うのです。


スピーカーの皆さんと。右から、出口先生、西岡さん、伊藤さん、杉下先生、山田(僕)

また、このテキストには「ファシリテーションへのある種の矜持」も大きく由来していると思います。弊社halは、中核事業は社会を変える起業家とコーチのマッチングプラットフォーム「Social Coaching」です。その周辺事業として、対話の場のファシリテートという役回りをさせていただくことがとっても多い。そういう意味で、「本業」を持ってしてセッションに臨みました。「もしかしたら数多のセッションの中で、自分だけがファシリテーションに本業性を抱いているかもしれない。いや、そう考えた方がいいだろう」という心持ちで本番に臨むことは、それなりの緊張感がありました。

前置きが少し長くなりましたが、なぜ尖ったテーマで大好評をいただけたかについて、モデレーター視点での偏った見解をお届けします。


・前提、テーマとキャスティングで完成している

身も蓋も無い話ですが、当日打ち合わせをした時点で私は次のように確信しました。「これはどうなっても大丈夫なやつや」と。

テーマである日本流Well-Beingには程度の大小こそあれど、IVS参加者12,000人ほぼ全員に当事者性があります。例えば資金調達戦略に関するセッションがあったとしたら、エクイティ調達をしているor考えている起業家と勉強しておきたいVCしか当てはまりません。TAMで言っても、資金調達の情報に興味がある人だけです。一方、幸せについて考えたことがない人は殆どいないでしょう。グラデーションはあれど、当事者性が高いテーマであることは聴衆の「参加意欲」を駆り立てるのに十分なファクターです。

そしてそのテーマに対するキャスティングの素晴らしさです。ココロの観点からはオンラインカウンセリングcotree代表取締役役の西岡さんや、両足院福住職であり、瞑想アプリにも取り組まれている伊藤さん。カラダやシゼンの観点からは屋久島尾之間診療所の杉下先生。キカイや全体を貫く思想的な観点では、京大教授の出口先生。ぶっちゃけ、このメンバーで話してつまらなくなる方が難しいですよね。肝心のモデレーターが若造すぎることだけが唯一の懸念なくらいです。

この後モデレーター観点でTipsや考えを書いていきますが、「テーマ設定とキャスティングが最大の成功要因である」ことは強調しても強調しきれないことを強調しておきたいです。あとは全部オマケ!


・参加者の「話を聴く環境の悪さ」への自覚と対応意識

有難いことに我々のセッションは3日目の開催であり、また開催地は、僕の居住地である京都です。下見を兼ねて会場に足を運ぶのは自然なことでした。やはり下見は偉大です。会場は物凄い熱気で、今にも倒れる人が出そうな雰囲気です。これは温度や湿度の問題より、音の問題が大きいと考えました。あるセッションを聴いていても、しばしば隣のセッションが「声」として入ってきたり、どこぞのどなたかのネットワーキングが「音」として絶え間なくインプットされ続けます。「声」はなんと言っているか識別できるレベルの情報量で入ってきますし、「音」は意味こそ欠落していますが確かな存在感を持って僕を刺激し続けます。

「なるほど、これはかなり集中が難しい環境やし、それなりに工夫が求められるな」と下見で把握できたからこそ、対応を検討することができました。しかも、イエローステージのセッションは90分ですよ。そもそも僕が90分集中することが難しいという問題を鑑みると、人によっては苦行そのもののような時間になることが想像に難くありません。以下にあげていく工夫は、この「聴く上での環境の悪さ」を底に敷いたアレコレになります。


・セッションを分割しメリハリをつける

まず90分間の抑揚のないお話しは苦痛以外の何者でもありません。相当興味のある内容でもキツいでしょう。しかもIVSは興味や関心が移り変わりやすい人も多いでしょうし。

キークエッションを3つ用意はマストでした。それでも単純計算30分×3。まだ長いです。正直15分集中が持てば御の字の時代です。一つのキークエッションの中でも2~3に分割できると理想的だと考えていました。
(実際は結局スピーカーの話がオモロすぎて優に30分以上喋っちゃってます。ご愛嬌!)

また、「90分聴く」とは座りっぱなしや立ちっぱなしを意味します。身体がどんどん固まってくると退屈になります。だから、中盤で身体を伸ばしてもらいました。ちょっと立ったり、しゃがんだり。テクニカルですが、技術というより配慮、なんなら慈愛からできると理想的ですね。


・全く同じキークエッションを全員に振らない

モデレーター1に対してスピーカー4という構成です。同じ質問を4人に対して行うと、どうしても躍動感に欠ける平坦な対談になってしまいます。一問一答を4人に対してやっている感じですね。

例えば「日本流Well-Beingはなんだと思うか?」のようなテーマでも、「XXさんにとって、日本流Well-Beingはどのようなものだとお考えですか?」と全員に聴くことはなるべくしません。平坦なので。

「XXさんが『自分一人で生きていない実感』のような話をされましたが、YYさんがよく語られている『できなさ』の哲学の観点からはどう日本流Well-Beingを観られていますか?」という言い方をします。こうすると、あるスピーカーの話の中のエレメントが、次のスピーカーの話のエレメントと繋がります。聴き手は、違う他者二人の話を、自分の中のエレメントと合わせてまた解釈しやすくなると思っています。
(実際はこれをすることで情緒的・感覚的な抑揚が生まれてき没入したり、体験的に学べたりという点ではヨシですが、逆に「日本流Well-Beingって結局何?」と言われると答えに窮するような状態になりやすいです。「単調さと分かりやすさ」と「複雑さと分かりづさら」はそれぞれ表裏一体ですが、企画者の意図から汲み取って後者に寄せた次第です。ただ、後半1/4か1/3はもう少し「単調さと分かりやすさ」に振ってもよかったなと思っています。)


・聴きっぱなしは辛いのでできる限り参加型にする

これはぜひ繰り返したい持論ですが、座って90分話を聴き続けるほど辛いことはないです。雑音が大盛況な環境ですから尚更。幸い、運営の工夫によりSlidoが準備されており、いくらかの参加者もSlidoを通しての参加に慣れてらっしゃる様子でした。

そのため、スピーカーの自己紹介の段階から「自己紹介を聴きながら今日のセッションに期待することを思いつけば書き込んでください」とアナウンスします。スピーカーはわりとSlido見ているので、直接Slidoの声に触れ回答せずとも、スピーカーが何を話すかを選択するプロセスに自然と干渉します。なので、Slidoは一番最初から使うべきです。「何かあれば書いてください」ではなく、最初っから推し気味で。


・次のキークエッションとの間に参加者にマイクパス

参加型の続きです。slidoなど文字による参加も優れたポイントがたくさんありますが、やはり生声の参加は情報量が圧倒的です。語られた言葉の直接的な意味もさることながら、その言葉の奥にある意味までを汲み取ることができます。スピーカーも必ずそれを感じ取って対応するはずです。だからこそ、一見上手く参加者の質問に答えられていない雰囲気になったとしても「振り得」なのです。

また我々のセッションでは印象的なことがありました。終盤に、体感5分以上お話をされた参加者の方がいらっしゃったのです。彼女のお話しを聴きながら僕もいろいろ考えました。今一番残っているのは、「これだけの熱量がある集団なんや」と感じたことです。参加者の一人ひとりの中に篝火が灯っているんだ。彼女は集団を代表して声を上げ、この火に薪をくべ大きな焚火にせんとしてくれているのだと。意識しているかはともあれですが、そう感じました。

あとで振り返って、「あれは人によっては結構焦るやろうな」と思いました。実際、少し焦りました。「やばい!時間が迫っている!」と。でも、この時間は誰のものだろうと考えました。みんなのものです。でも彼女のものでもあります。彼女は勇気を振り絞って声を上げました。なんと僕なんかも含めて、登壇者5人に感想や問いをぶつけてくれたのです。この時必然的な感情は、感謝以外にないはずです。


・ロールの想定と、越境

日本流Well-Beingのいうテーマに対して、異なる専門性の横断的対話が今回のミソです。それも、企画者は、ココロ、カラダ、シゼン、キカイという立場を分けてくれていました。

そのため我々のセッションでは、ココロは西岡さんや伊藤さんかなとか、カラダは杉下先生や伊藤さんからんとか、シゼンは杉下先生かなとか、キカイは出口先生かなとか、企画側との意図はすり合わせておきました。

大まかにはそのロール(役割)の観点から話していただくことを想定していました。しかし同時に、想定とは異なるロールに立っていただき話していただくことも、セッションの想定外の面白さをうむ上では重要です。

ここはもう少しチャレンジしてもよかったなと、正直思っています。


・担当するセッションの「文脈」を体現する

最後にモデレーターというのはコンダクター、指揮者に近いのではないかと思っています。企画者がコンポーザー、作曲家です。IVSの、特にイエローステージの作曲家は必ず「文脈」を持って楽曲を作っています。なぜ今、なぜこのメンバーで、なぜこのテーマなのか。なぜこの日なのか。なぜこの時間なのか。

僕は日本流Well-Beingというものに込められた文脈を、大まかに次のように理解していました。SDGsやESG、インパクト投資への関心の高まりは、ソーシャルイシューへの関心の高まりと比例している。ただ、何が課題なのかを定義するには、理想・ビジョンが必要である。「Well-Being」もしくは「幸せ」にディープダイブすることで、理想・ビジョンについて探求する機会をつくろう。それは間接的な影響かもしれない。それでも、課題解決≒ビジネスのメガサミットにおいて、「課題の前提」や「解決策の前提」を大きくアップデートするだろう。

前提をアップデートしたいこそ、本セッションに必要なのは「揺らぎ」でした。思えばこの記事に書いてきたことは、「いかに揺らぎと共に在るか」に関するアレコレであるように思います。


あとがきにかえて

IVSから投稿までに意外と時間が掛かってしまいました。初稿自体は記憶が新鮮な2,3日の内に書き終えたのですが、いざ投稿するには軽微な(しかし重要な)修正点がいくつも見つかるものです。一度寝かして発酵を待つと、3週間程度たった今日(7/22)となります。IVSソーシャルやIVSへの熱は、どうしても当日をピークに低減していくでしょう。そんなタイミングの投稿だからこそ却ってメリットもあります。まず、関心が深い人しか記事を見ない。次に、小さくなる一方の篝火に薪を焚べることになる。記事が当日を終えて即出しされなかったという事実自体も、「日本流Well-Being」に関わる大切な何かなのではないでしょうか。そんなテイのいい言葉で締めくくります。ご清聴ありがとうございました。(完)

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