夜を乗り越える

又吉直樹/夜を乗り越える 

を読んで思ったこと


文学をファッションとして読む教養主義とそれを嫌う潔癖さ

p37

一部には文学をファッションのようにお洒落なものとして扱い、嫌う人たちがいるという感覚は自分の中にもあったが、言語として認識することは今までできなかった。それを又吉さんが言語化してくれた。自分が本を読むようになったのは、まさにそういった文学をファッションとして捉え、『村上春樹を読んでいる男はかっこいい』と当時大学生の自分が考えていたことがきっかけだった。最初は何が面白いのか、そもそもこの小説は何をいってるのかさっぱりわからなかったのが、読んだ村上作品が10冊を越えたあたりから、好きな描写だったり、登場人物の台詞だったりが自分の中で出てきて、徐々に作品自体が面白いと感じるようになった。

ただ、今でも、喫茶店で本を読んでる人をかっこいいと思ってしまうし、文学の知識が豊富な人に対する憧れは変わらずあって、自分もそうなりたいと思うから、本を読み続けている部分は多くある。無駄にスタバでmacを使っている人の気持ちも、文学が好きなことをお洒落と評されてしまうことを嫌う又吉さんの気持ちも、どちらもわかる。『スタバmacユーザー経由、又吉未満』の自分は、ファッションとしてではなく、純粋に文学を楽しめるようになりたいと思うし、そうするには多くの本を読んで、自分の認識の輪を広げていくしかないんだろうと思う。


共感至上主義を抜ける

p116

「主人公に共感できなかった」このキーワード一つで作品を評価してしまう人に違和感があると又吉さんは言う。むしろ訳がわからないものの方が自分の価値観を広げてくれるものだと言う。

映画を見て、主人公の行動や心理が理解できなかったり、共感できないと、作品自体が駄作のように考えてしまう所が自分には確かにあると読んで反省した。そう考えるようになったのは、ハリウッド映画のようなハイコンセプトの作品ばかり見てきて、それが正しい姿だと思っていたからだと今にすると思う。読書の面白さは共感半分、新しい視点半分、と心に置きながら読んでいこうと思う。


他人の作品に嫉妬でおかしくなりそうな人

p132

現状に満足していない人は表現欲求が強く、そんな人間にとって自由に表現の場を与えられている奴らの存在を了承するわけにはいかない。

作品を批判的に見るよりも、楽しく読むのが一番いい。しかし中には他人を批判的に見なければ自分の存在を維持できないという人も中にはいて、そういう人たちの批評を軸に本を選ぶのは気をつけた方がいいという文脈の中での一文。

星野源の歌は好きなのに、全力で良いと言えない自分がいた。家族があいみょんの歌を褒めるのを納得できない自分がいた。自分は性格が曲がっていてセンスがないだけかもしれないと思っていた。モヤモヤする気持ちの正体を、又吉さんが言葉にしてくれて、なんだか救われた気がした。

他人の成功を許せない自分を許してあげられるようになった。

批判する人を批判する訳ではなくて、そういう人たちもいるんだと守るように宣言してくれているように感じた。とても優しい人だと思った。


井の中の蛙で居続ける

p258

自分の中だけの世界が最高に面白い、いわゆる中二病、井の中の蛙の状態で居続けなければならないと又吉さんは言う。それは自分の才能を疑わないということだと言う。他人を気にして恥ずかしがっている自分よりも、盲目的に自分が信じるおかしなことをしてる奴の方が面白いと言う。私もそう思う。


気を使う後輩に「気、使わなくて良いよ」と、あえて言わない優しさが又吉さんにはある。気を使うことがそいつにとっての自然体だから、そのままでいさせてくれる。そういう深い優しさが滲み出てる本だと思った。



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