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あの人を想う

久しぶりに太陽が顔を出した暖かな冬の夕暮れ、私はいつものバスに揺られていた。澄んだ空気の中、夕日がとても美しく、遠くの山まで茜色に染まっていた。


バスは、父が最後に教鞭を執っていた小学校の前を通った。

私は教師だった父のことを誇りに思っている。


家族を大切にするいい父親だった。
夏休みは、家族と毎年のように旅に出かけた。鈍行列車が好きで妹と私が急行がいいと言って駄々をこねても各駅停車の列車に乗って、駅弁を食べるのが好きだった。列車のダイヤ帳をめくりながら、乗り継ぎの時間をぎりぎりに設定して、予定を立てるのが得意だった。

旅の宿泊先は決めなかった。旅先で決めるスリルと出会いが好きだったのか、地元の観光案内所で聞いたホテルや旅館で、直接交渉をするのが父の旅のスタイルだった。


涙もろく、映画が好きで、お酒の場が好きで、何より人が好きだった。行きつけの店に行って、初めて来たお客さんと知り合いになり、一杯おごってお酒を酌み交わすのが好きだった。


父が勤めていた小学校を訪ねた時、担任をしていたクラスの教室を見てビックリした。子どもたちの美術作品の整然とした貼り方黒板の予定表に書き込まれた丁寧な文字、そして、机と椅子を置く場所を記すために、床に張られたテープ、教室のいたるところに几帳面さが表れていた。私は知らなかった父の一面をみた気がした。

お父さんトレーナー2


父は、私たち家族と同じように、教え子たちのことを愛していた。子どもたちとキャンプやミニ旅行によく出会かけていた。子どもたちは我が家によく遊びに来ていた。父は車座の中心にいて、一緒に行った思い出の写真を楽しそうにながめていた。

父は優秀な子どもよりも、むしろ劣等生をかわいがっていたような気がする。父にとって成績の良しあしは人を評価する基準ではなかったのだ。立場の弱い人のことが気になる私の性格は父譲りかもしれない。


父は素うどん先生と呼ばれていた。たくさんの子どもたちに御馳走する時、自分のお小遣いでは払いきれないので「お前ら御馳走するけど一番安い素うどんにせいよ」としょちゅう言っていたらしい。私はそのニックネームがちょっぴり恥ずかしいと思ったこともあるけれど、今はとても誇らしいと思う。


眉毛が濃くて、がっちりした体形だったので”山田のゴリラ”をもじって「山ゴリさん」とも呼ばれていた。子どもたちは「山ゴリさん」によくじゃれていた。「おまれら、やめんかこそばいが」と笑いながら叱っていた父の言葉が懐かしい。


教え子たちに「素うどん先生「山ゴリさん」と呼ばれていた父が、亡くなったのは定年退職して20年余り経った時だった。葬儀にはたくさんの教え子たちが来てくれた。連絡したわけではなかったが、東京に嫁いでいた教え子も駆けつけてくれた。


父が乗ったお別れの車が遠くになるまで、たくさんの教え子たちが見送ってくれた


車の後ろから「先生、ありがとう」と言う声が聞こえた。



私は、父とのお別れの時、人はどう生きるべきなのかを教えられた気がする。


バスが交差点を曲がって見晴らしのいいバイパスに出た時に、私は思い出した。
父が、海に沈む夕日が好きだったことを。
海のそばの小学校で教鞭を執っていたからだろう。



バスの中から見る夕日は、見慣れたいつもの街に光を放って幻想的でさえあった。

私は夕日に語りかけた・・・

お父さん亡くなってから一度も夢に出てくれないなんて、寂しいよ」と・・・


いつの間にか、父が亡くなってから13年が経っていた。


今日はどうしようもなく父のことが書きたくなって書いている。
「お父さん、たくさんの教えをありがとう


私は、今日の夕日を忘れない


おしゃれな2人 A

【毎日がバトル:山田家の女たち】

  《ばあばが語る父》

山田家のリビングです。

あの人のことを想う」の記事を、母に読んで聞かせていました。
私は、父が亡くなって13年、初めて父のことを想い文章を書いたので途中で涙ぐんでしまいました。

読み終わった時、母が言いました。

「お父さんは、やさしい人じゃったねーええお父さんじゃったわい

「お母さん、私、亡くなって一回も夢でおうてないんよ、なんでじゃろー」と私
「あんたらに心配させたくないんじゃない、私も一回も見てないよ、ほじゃけど、毎日、お仏壇でお父さんにお祈りしよんよ、みんなを、見守ってねって」

「ほんと、見守ってくれよるねー


「当たり前じゃがね、ほじゃけど、本当に誰にでもやさしい人じゃった
 それにつきるね、あんた泣きよったけど私も涙が出たよありがとう


私はもう何も、言えませんでした。


見せかけではない、人の心によりそう父のやさしさは、私たち家族にも、そして教え子たちの心にも生きていると思います。


ばあばの俳句タイトル 001 (2)

【ばあばの俳句】

 まざとある思い出嬉し冬夕焼


母は父の思い出を詠みました。まざとある、しっかりと確かに父との思い出は楽しく、うれしい記憶として数々心に焼き付いています

松山市の風景1

母は、父が亡くなった日に見た、温かく町を包み込むような、大きく美しい夕日が忘れられず、季節を問わず、夕日を見ると父のことを想うそうです。



▽「ばあばの俳句」「毎日がバトル:山田家の女たち」は毎日音声配信しています。読んでいただけたらうれしいです。

今日もたくさんの記事の中から私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただきありがとうございます。明日も配信します。

タワーロング

ロゴ入り2ショット




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