10数年後、日本政府は倒壊すると予想する

(注意)この文章は過激な表現を含みます。不快感を感じたくない方は閲覧をお控え下さい

 山大研究家です。
 コロナウイルス騒動が大きくなってから、ツイッターの外部配信は最小限にとどめてきました。
 ニュースも、あまり見ないようにしてきました。
 そうすることで、冷静になって判断するチャンスをできるだけ作ろうとしました。
 コロナ騒動以降の世の中を動きを、できるだけ距離をおいて見ようと心がけました。
 それを続けてふと思ったのは、今から10数年後の間にたぶん、これまでの日本政府は大きくゆらぎ、そして倒壊し、新たな日本政府が誕生すると予想します。
 というのも、今の政府はいろいろ制度疲労があるとあるとさんざん言われてきてます。さらにそれは今に始まったことではなく、もうだいぶ昔から言われ続けてきました。1993年あたりからです。
 日本政府も馬鹿ではないので93年以降、制度疲労がある箇所については適宜、改革をしてきました。文部省を文部科学省にしたり、国立大学を特殊法人化したり、郵便局を民営化したり、いろいろやってきました。
 だけど、それはソフトランディング方式といって、変化を最小限におさえながら、徐々に改革をしてゆこうというというやり方です。なぜ変化を最小限にとどめなきゃいけないのか、それは雇用を守るためです。特に団塊世代の。
 実感してる方もいるかもしれませんが、現行制度をできるだけ維持しつつ改革をするというのはある意味、大変に危険な行為です。なぜならそれをやると、省内(社内)にはできるだけ今までの権益(既得権益)を守ろうとする行為がまん延するからです。
 改革をするつもりなのに、みんな守りに入っちゃう。改革するのがまるで貧乏くじみたいになるんです。ベテラン職員(社員)は定年を指折り数えるようになり、若い人間が思い切った改革案を出すと、条件反射的に恐怖を感じてしまう。改革のメリット、デメリットを冷静に見極めなきゃいけないのに。
 これじゃ結局、今までの制度をずるずると続けることになります。若い人だってチャレンジ精神がしぼみます。全てではないにしても、大半の制度はそうなります。その証拠に国立大学が法人化されたことは、まるで貧乏くじを引いたかのように扱われています。 
 そうやって日本政府は1993年以降、中途半端な改革をだましだまし、やってきました。
 しかし物事みんなそうだけど、だましだまし運用を続けていっても、いつかは限界が訪れます。そうやって限界が来るまでだましだまし運用を続けていても、Xデーは必ず訪れます。
 そのXデーを筆者は、今から十数年後(2030年代)と予想しているわけです。

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