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酒と女

 俺は来月で四十才になる。四十才、もうずいぶんいい大人だ。…いや、大人なんてものじゃない。「おっさん」だ。いい年だ。でっぷり太ってもいい頃だ。
 俺が十七の頃には、四十になれば腹が座るものだと思っていた。多分、それ相応の職について、適切な家族があり、子供は十歳くらいで、おとなしい嫁がいて、俺の人生も定まっているのだろうと。
 いや、それは言い過ぎなのだろう。確かに、俺は俺の不定形性について、自分でも思うところがあった。ああ、そうだ。確かに、俺には人と違うところがあった。悪い意味で人と違うところがあった。それはこの世の中から逃避したいという願望だ。
 俺は小さな頃から引きこもりだった。ずっと、引きこもりだ。そうして四十まで来た。
 つまりだな、俺が言いたいのは(ああ、うまく言えない)、四十になっても、まるで俺は成熟していないという事だ。一切、成熟していない。十六とか、十七とかから一切変わっていない。
 正直に、言おう。俺には彼女がいた事がない。友達は学生時代で完全に切れた。親は昨年、二人とも死んだ。だから、今の俺は天涯孤独だ。親戚は俺の事など忘却している。
 今の俺はアルバイトをしている。四十になってもアルバイトをしているとは思わなかったが、仕方ない。生きる為だ。職場で、俺は人と話さない。むっつり黙って作業をしている。挨拶ぐらいしか会話はしない。職場の人間は俺を敬遠している。俺の方でも距離を置いている。
 今の俺は一切の希望を抱いていない。一切の希望…そう、あらゆる希望だ。だが、それは最初からなかったわけじゃない。
 例えば、女であるとか、金であるとか、名誉であるとか、色々なものが考えられるだろう。人はそれらを手に入れなければ駄目だと教え続けてきた。あるいは、普通の、ちゃんとした生活があって、そこに飛び込まなくてはならないと人は言った。だが、俺はその全般に虚偽を見た。
 …もちろん、ここで言われている全ては、俺の俺による自己弁護に過ぎない。結局、俺は俺を自己弁護するしかない。だからそうしているだけだ。興味がない人間はここで読むのをやめてくれれば結構。ただ、俺は俺の中の感覚について話したいだけなのだ。
 俺にはあらゆる希望がない。生活もない。それらは全て、年月と共に擦り切れた。若年の頃、俺は世界に夢を見ていた。いつか素晴らしい空中の幻ーーシェイクスピアが紡ぎ出すような美しい夢が現れて、俺を包み込むだろうと期待していた。だがそんなものはどこにもなかった。
 俺には彼女がいた事はない、と先に言った。これは事実だ。だが俺は童貞ではない。俺は、風俗に通っていた事がある。……これも正直に言おう。しかし、そんな「女遊び」も俺はくだらない事だと知って、今ではただエロ動画を見て、自分を慰めるにとどめている。性処理という言葉がぴったり来るか。
 一度か二度、デートをした事はある。しかし、それらのくだらなさ、醜悪さ、一種の芝居にうんざりしてしまって、そういう機会をもう求めなくなった。俺は確信しているのだが、この社会では、自分を騙して、幻想に取り憑かれなければ生きていけない。正気の人間はみんなすっかり自殺してしまっているだろう。彼らは、この世界が与えてくれる夢にうんざりして自殺してしまっているはずだ。
 さて、俺がデートだとか、風俗だとか、要するに性に関して話したのは、ただ俺の人生が絶えざる幻滅であったと伝えたいからなのだ。俺には人生に対するある種の期待があった。だが、それは何によっても満たされる事がないと次第に気づいていった。
 女だけでなく、仕事もそうだ。趣味もそうだ。結局、俺達はみんな同じ穴のムジナで、みんな一つの蟻地獄にはまってしまっている。馬鹿な奴は、自分の頭を改造してごまかす。ごまかして生きる。
 真に生きられないのは隣国が悪いのだ、とか。真に生きられないのは、自分が生まれる時代を間違えたのだ、とか。異世界に行けば、急にちやほやされて、満足するのだとか。あるいは、ディズニーランドに行って、みんなと同じ表情を浮かべて、同じものを食って、同じ行為をすれば満足できるのだとか。この社会は様々な答えを与えてくれる。
 だがそれら全てが嘘だと俺は気づいていった。そうして三十の年には、あらゆる悦楽から身を引き、外界に何の希望も持たないようになった。
 それからはずっと一人だ。他人に希望を求める事もない。極端に親密になる事もなければ、命がけで戦う事もない。戦う為には希望が必要だ。命を賭けて戦う、その為にはそれだけの価値を外部の何らかに認めなければならない。だが、俺は何にもそれを認められなかった。俺は戦わず、逃げ続けるだけだ。
 そうしていつの間にか四十の年になってしまった。今の俺にあるのは、休日の酒と女(エロ動画)だけだ。
 …それにしても休日のこの引きこもりというのは、なかなか大したものだと俺は思っている。それは純然たる「家畜」を思わせるからだ。
 もはや、檻から出るのを諦めた家畜は、ただ時間ごとに配給される餌を希望に生きている。俺にとって、休日の楽しみとはそういうものだ。家畜としての喜びだ。
 休みの日になれば、酒を飲み、エロ動画を見てぼうっとしている。時々、マスを掻いたりしてな。全く、恥ずかしい話だが、これは現代の家畜にふさわしい事なのだ。
 俺達が家畜だというのは、非常に愉快な事でもある。インターネットショッピングの、周期ごとのセールだとか、ゲームのセールだとか、そういうものが文字通り「生きる希望」になる。馬鹿なアイドルのひどいパフォーマンスに高い金を払う事が「生きがい」になる。それほどまでに家畜化は進んでいる。
 俺はこの状況を素晴らしいと思っている。もちろん、知性を眠らせる事ができれば、の話だが。この世界はよく見れば、全てが汚らしいボロ屋で、美しく着飾った女達はただのしゃれこうべに過ぎないのだが、どこからか笛の音が聞こえてきて、音が続いている間は魔術は消える事はない。酔う事ができれば、ここは天国なのだ。
 俺はそんな天国で生きている。…正直に言って、俺には自殺する以外の一手はない。俺もまた、不思議なのだ。どうして俺が自殺しないのか、と。
 どうして自殺しないのか? …考えても答えはない。理屈をつけるなら、「生きる理由がない」という事がそのまま自殺へと繋がらない、という事なのだろう。「生きる理由がない」からといって、自殺するには及ばない。心臓は動いている。どういう意味かはわからないが、とにかく心臓が動いている。
 俺はこういう想像をする。十秒後に、殺されるブロイラーの心臓の鼓動に意味はあるだろうか。十秒を十年に伸ばして果たして意味があるだろうか。ブロイラーは安い肉として、どうしようもなくくだらない馬鹿共に適当に食いちぎられる。悪ければ残飯として、ごみ溜に捨てられる。それでも、ブロイラーの鼓動に意味はあるのだろうか。
 …意味なんかないだろう。それでも、俺は自殺する事はできない。何故だろう。そんなに生きたいのか。何かに固執しているのか。
 俺は何かに期待しているのか。何かを待ち受けているのか。何を望んでいるのだ? …俺は。
 (いや、何も)と俺の中から答えが返ってくる。(何も期待していないさ、死にたければ死ねばいいさ) そう奴は言ってくる。
 奴? …まあいい。俺は奴と話しながら、自分の進路を決めてきた。だが、奴も俺ももう行き詰まってしまったらしい。希望を持つには馬鹿になる必要があるが、馬鹿になるには俺は利口すぎたのだろう。それで、俺は酒とエロ動画で理性を曇らせる他ない。
 世の人々に教えて欲しい。今すぐ殺されるブロイラーには、生きている意味があるのか、と。もし、「ない」と言うのなら、世のブロイラーもどきの、家畜としての大衆は即刻、その存在を消してしまうべきだ。もし、「ある」というのなら、全てを奪われ、魂さえも失ったガラクタが生きるとはどういう事なのかをきちんと教えて欲しい。「生きるだけで素晴らしい」のような寝ぼけた答えは拒否する。真剣に考えろ。俺は、憤っている。
 もっとも、こんな問答も俺の命を無駄に先延ばしにするだけで、何の意味もない。俺はただ憤っている。
 どうして俺が自殺できないのか。それだけが俺には疑問だ。俺は家畜として、自分自身を全うしている。季節ごとの、企業が与えてくれるセールを神の恵みとして受け取り、神々(大企業)に感謝を捧げて生きている。他の家畜と交流する趣味はもうないので、ただ時間ごとに配給される餌で我慢している。
 こんな俺にどんな生きている意味があるというのか。誰か、教えて欲しい。だが、その誰かとは勝手に救われている妄想者とか、家畜に餌を配って歩いている上級家畜とか、そういう連中はごめんだ。勝手に答えを手に取って自分を洗脳している連中の答えほど汚らしいものはない。それにかじりつくぐらいなら、俺は自分の汚辱に浸っていた方がマシだ。
 さて、俺はもう言うべき事は言ってしまったようだ。俺の人生にはエピソードはない。あらゆる意味でエピソードはない。だから、こんな貧しい事を言っただけで、もう言う事はないのだ。
 俺はもう少し四十になる。四十になって、こんな有様だったら、恥ずかしくって首を吊るだろう…昔の俺ならそう考えたに違いない。こいつも少しは羞恥の感情を持っているだろう、と。
 ところが、人間というのは、年を取れば取れるほどケチくさくなるもので、俺は俺を捨てられない。それでまた生きている。
 仕事の日には休みが来るのを待ち焦がれ、休みの日にはぼうっとして何もしない。俺の人生は虚無だ。全くの虚無だ。
 きっと、この虚無の人生を送る家畜共、彼らを飼う餌やり係に立候補すれば、少しはマシな人生を送れただろうーーと人々は考えたがる。家畜に餌をやる側にまわれば、人生はグレードアップされるだろう、と。しかしそれは嘘だ。最後には全てが倦怠に行き着く。
 皇帝になれば、色々な現実の女を侍らせて遊ぶ事ができるだろう。俺は奴隷なので、様々な「エロ動画」を俺の元に侍らせて楽しむ事ができる。その二つには本質的に差異はない。俺の方がはるかにみすぼらしいとしても。
 馬鹿共に夢を見せる仕事に就き続けるには、まず自分が夢を信じなければならない。嘘の夢を信じなければならない。自分を最初に洗脳しなければならない。そこから全ては始まる。
 「勝ち組」と「負け組」は同じものの裏表に過ぎない。幻想に酔う事。それがこの世界の一員でいられる条件だ。限定品を得る為に行列を作る事。行列の前や後ろの連中と仲良くする事。それを意味があると考えなければならない。そんな行列を作った事に対して、心底満足する事。家畜を満足させる商品やサービスを作る事に、大きな意味があると信じる事。それがこの世界の一員でいられる条件だ。

 …しかし、どうも俺は語り過ぎたようだ。こんな事はどうでもいいじゃないか。
 驚くべき事だ。一体、何を世の中に論証しようとしてるんだ? …馬鹿馬鹿しい。結局、俺は俺の無為が正しいと、世の中に向かって全力で証明しようとしているだけじゃないか。馬鹿馬鹿しい。一番の馬鹿はこの俺だという事になりそうだ。
 まあいいや。そんな事は、どうでも。
 ただ俺は俺の人生が終わっていく事に郷愁を感じている。夕日が沈むのを眺めるのと同じような感覚を抱いている。
 俺は近い内に死ぬだろう。そして、これは人類の中でも最も無意味な死だろう。キリストとは真逆の。
 …いや、待て。これも自己主張の一種か。俺は自分が真ん中のあたりだという状況に耐えられない。だから、俺は自分がこの世で一番無意味だとわざわざ言ったのだ。逆向きの一等賞。ほら、お子様ランチに旗が立ててあるだろ。馬鹿なガキ向けの。俺はあれをとっても喜ぶ人間だった。ガキの頃な。
 まあいい。もう、どうでもいい。
 俺は、酒を飲もう。そうしてエロ動画を見よう。
 …その昔、李白という詩人は山にこもって、月を愛で、詩を吟じたそうだが(詳しくは知らん)、現代には李白は存在し得ないので、ただアパートの一室に籠もって、モニターをじっと眺めて、焼酎をあおっているだけだ。
 絵にならない事、甚だしい。悲しいな。
 だが、泣く涙もない。俺は近い内に死ぬだろう。
 …いや、死なないかな。死とは、生きている人間にやってくるものだ。だとすれば、俺には死はない。
 俺は死なない。生き続ける。いや、生きもしない。ただーー存在もせず、非存在にもならず、ただーーただーーなんだろう?
 ああ、なんだろう? わからない。
 まあいいや。俺は酒を飲み、エロ動画を見よう。それしか、やる事はない。
 さて、それをやろう。だからこの文章はここで終わらせてもらう。
 俺にはどんな結論もない。ただ汚らしい文章を書き散らしたというだけだ。糞食らえ。全てのものよ。
 どうでもいいや。もう終わるぜ。もう、二度と文章を書く事はないだろうよ。実はこれでも、高校の時は文芸部だった。その時の、眼鏡の先輩にこっそり恋したものだよ。俺の汚らしい青春さ。…まあ、全てはどうでもいい事だ。あばよ。俺はもう何も書きたくない。これからは何も書かず、意味も求めず、ただ世の賢人達を見習って、自分の脳を蕩かす事に腐心したい。その為には酒が必要だ。酒が。今の俺の望みは、ただそれだけ、それだけなんだ。後はなんにもいらない。酒と、エロ動画。それだけだ。それが全てだ。

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