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7月3日に31歳になった。

7月3日に31歳になった。

7月3日生まれというだけで無条件に僕に向く世間の注目が、7月4日生まれの誰かに向く前に''おめでとう''と一言かけてあげてほしい。

大義名分かざして誕生日ぐらいしか平気な顔して世に出せないAmazonのウィッシュリストでも作ろうと思ったけれど、ウィッシュするものが''平穏な日常''と''かわいい彼女''ぐらいしかないためリストにならなかったから、誰かおすすめの雑巾とか送りつけてください(雑巾とか本当にいらないからやめて)

この物欲のなさは、あるものだけで戦えてしまうほど変わり映えしない日常のせいだとも思っているので早くこの忙しい日々を抜け出したい今日この頃である。今日だって誕生日なのにギリ生きている。これだけの仕事量をアイデアと根性でこなしているのだから、きっと戦う場所さえあっていれば今の倍は給料がもらえていたのではないかと思う。

30歳はなんだろう、総じて幸せだった。こうして年を重ねると日々の出来事がどれも似てくるから似たようなネガティブを系統で括ることで処理もしやすくなる。逆に嬉しいことは慣れてしまうから、その都度これはちゃんと嬉しい形をしているのだと確認して、ちゃんとありがとうを届けようと思っている。そしたら半径90cmが少しずつ穏やかになって総じて幸せだと思える時間が増えた。

時折りあるさざなみに心が折れそうになってしまうことがあっても、問題を近くで見過ぎて手にしたはずの幸せが見えにくくなってるだけだと理解した。帰って寝るだけの生活で日記が10日分溜まっている。「振り返ることができたならこんなに遠くに来れたかな?」そんな歌の歌詞に心を揺らして、振り返ることもできない日々の先を楽しみにしんどさを味わっている。今はまだちょっとだけ苦い。

誕生日は節目だからと言って、今日から気持ちを新たに何か始めようとする余裕もなければ、仰々しく31歳の目標を立てる気力もない。

31歳、別にどうなったっていい。

22歳の時に願った30歳の自分は、あの頃の僕にとってのこうなりたい未来だったけれど、30歳の僕が見たら笑ってしまうような取るに足りない生き方だった。だから31歳初日の僕が詳細に思い描く31歳の7月2日だって、どうせ大したことないし、多分よほど現実の方が奇なり、である。

植中朝日が昨日マリノスでJ1初ゴールをあげたことだって、去年の彼は描いていなかったろうし、僕もなんだかそういう転機が訪れた時にちゃんと掴める準備だけはしておきたいと思う。

30歳、もう僕の周り半径90cmは心地よい環境と素敵な子ども達、仲間だけで固めておいた。

31歳、別にどうなったっていい。

どうなったっておもしろい。

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