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5日間ニートしてみた話

卒業式前の3週間を毎日4時間睡眠で過ごしていたから、毎日ヤクルト1000を1本飲むぐらいでは免疫を守ることはできず、1年間の緊張の糸がぷつりと切れたように流行り病で体調を崩した。

3日間の勤務日と土日の計5日間生まれて初めて誰にも会わずにベッドでくそニート生活をしていて気づいたことがあるので紹介したい。

①体調不良の後ろ盾があるから仕事、勉強しない罪悪感が徐々に薄れていく

どれだけ体調が悪かろうとこれまでほとんど仕事を休んだことのない僕が流行り病となれば話が別だ。誰にも迷惑をかけないように(リモートでもできる仕事は頑張った、それでもごめんなさい明日からめっちゃ働きます)仕事を休んだ。

きっと頑張ればできたのだ。仕事も勉強も。トレーニング1つ考えることも、AirPodsの蓋をカチッと開いて耳に当ていつものようにリスニングアプリを流すことも。それでもだ、1分足りともしていないのだ。「病気なんだから休みなよ」「お前1年間頑張ったんだろ?ご褒美だと思って休んじゃえよ」僕の耳元で世にも珍しく天使と悪魔が同じことを言っている。利害関係が一致している。どちらも「頑張った方がいいんじゃない?」なんて声を掛けてはくれなかった。

5日間を終えて普段喉から手が出るほどほしい勉強時間を無駄にしたことを死ぬほど後悔している今。

何か正当な理由は人を弱くする。

②運動してないからお腹が減らず1日1食でも大丈夫

授業に部活にトレーニングに1日中身体を動かしていた僕がこの5日間一切の運動を絶った。人がボール投げてるのとかグローブ投げてるのとかを見たぐらいのもので、自分がまったく運動をしないとなるとマジでお腹が空かない。欲はないが栄養を取らなければいけない義務感だけはあるため、隣のコンビニで簡単に食べれるものを買うぐらいの運動だ。1日ほぼカロリーを摂取していないためこんな時ぐらいはと、普段は絶対に食べないカップ麺のコーナーを前にする。''調理時間8分''と書かれていた興味対象を見つけて''8分!?''とこぼし、買った''最強どん兵衛''がマジで美味くて感動した。

③弱ってる時にはじめて響く音楽と文章と漫才がある

この5日間基本僕はiPhoneを片手に過ごした。たくさん時間があるからと自分にとって有益な情報を仕入れようとするつもりはまるでなく、ただ今の自分が見たいものだけを見ようと心のままに検索をかけた。

普段の自分はいかにして自分の人生を豊かにするかにしか興味がなく、仕事術やライフハック、投資などどこか固いコンテンツを見るのに対して、弱った自分が求める音楽や文章、漫才は学びがあるかは知らないけれどただひたすらに心地良かった。音楽も文章もリズムが心地良いものを、漫才もガチャガチャしたものではなくそのギミックの美しいものを手に取った。

人は弱ると普段は触れないようなものに自然と手を伸ばすんだってことを知った。誰かが弱った時にそっと寄り添える物書きでありたい。

④YouTubeショートは時間を溶かす

弱っていると長編の映画と長尺のYouTubeが億劫で気づいたらYouTubeショートばかりを見ていた。若者の求める笑いと自分の求めるそれに乖離があることを知っているからTikTokは見たことがないのだけど、YouTubeショートは自分の好みで短いものが流れてくるから見てしまう。

短い時間で驚きとおもしろさを享受できる。そりゃ子どもはみんなハマるなと。となると子どもにはそういうニーズがあることを知ってアイデアを出していかないといけないなと思った。

⑤喉から手が出るほど健康な状態に戻りたくてそのためならお金も惜しくはない

言わずもがな発熱や頭痛が続くのは辛い。健康な時は忘れてしまうその辛さは、なってみて感じる健康であることのありがたみを教えてくれる。喉から手が出るほどほしい健康な状態に戻るためならと値段を気にせず良さそうなものはバスケットにつっこむ自分がいた。

健康がお金で買えるならいくらでも払う。それって大人にならないとわからない。

⑥精神的なストレスは5日程度ではほぼ0に等しい

働けない歴とした理由があるからか、この生活への精神的なストレスはほぼ0に等しい。ストレスや悩みの大方が人と関わることによって生まれることを思い知らされた。それはそれは快適であることは間違いないが、どこか味気ないのも事実である。これが職を失ってのニートとなるとプレッシャーで寝れなそうなものだけど。

⑦くっそおもんない。

5日間を終えて、思うことはこの生活くっそおもんなかったなということだ。自分が今過ごしているこの時間は、誰にも影響を与えることのできないこの時間は無駄以外の何ものでもないと吐き気がした。

思う存分自分の好きなことをしようと自分のために使った時間は、何も自分のためにならないことを知った。

ありのままの自分を愛してくれる人がいるとして、今ベッドにいる何も着飾らない、格好も悩みも頑張りもない自分がそれだとしたら、そんなのを好きになっちゃう人なんか選びたくもない。素の自分よりも無理して頑張ってる自分を愛してくれる人と出逢いたいと思った。

みんなが望むニートみたいなものは、好きなことを好きなだけできてしまうつまらなさがある。

僕がちょっとでも望んだことのあるこの生活はあんまりいいものではなかったと、体験してみて気づくことがある。

僕はブラックだと笑われても子どもとの関係に悩んで、相手の思うところがわからなくてストレスを抱えても、必死で子どものことを覗こうとしてあってるかどうかもわからない言葉を必死で選んで、たまにピタリとハマったそれを宝物のようにずっと大事にしてくれることを知って、嬉しくて、嬉しくて夜遅くまでお酒片手に見入ってしまう長尺のYouTubeや映画の方がよほどよほど好きだ。

ここから先、この生活がくそほど恋しくなる忙しさが待っているんだけどそれもまた幸せ。














みんな春だよ、街に出よう。

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