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県大会の1回戦から浜松開誠館を引いちゃった話。

2023年5月14日(日)
サーラグリーンフィールド
U15サッカー選手権大会1回戦

御殿場中0-10浜松開誠館中
(0-9/0-1)

スコアを見ればそこにあるのは圧倒的な力の差である。ただゲームを見ればそこにあるのは前半と後半とで違うチームになれた確かな手応えである。

僕には自信がある。彼らと過ごす残りの2ヶ月、またひとつ大きくなってここに戻ってこれそうな自信があるのだ。

悲願の県大会出場だった。

地区大会を危なげなく突破し、進んだ東部大会。勝てば県大会出場のかかる一戦は早くに先制をするものの、負けたら終わりの重圧からか中々追加点を奪えないままゲームは進む。後半B-upのミスから同点弾を許すとそのままPK戦に突入した。

思えばこのチームはあと一歩のところでいつもPK戦で負けるチームだった。''メンタルが弱い''なんて言われるけれど、僕から言わせればPKが下手なだけだった。必要なのは気持ちの強さではない、上手さだ。ボールの置き方、蹴るまでの時間の取り方、キーパーとの駆け引き、蹴る瞬間のクリアな頭の中、それを何度も何度も繰り返してどんな状況下でも確かにねらったコースに届ける上手さを求めて時間があればPKを蹴っていた選手達だ。

''県大会に行きたい''そんな思いがあとひとつで叶うのにやれることをすべてやらずに臨むのはもったいないと、前日だって時間をかけてPKの練習をした。

その結果5人全員が成功して悲願の県大会出場を勝ち取った。5人目が決めた瞬間、ベンチ全員が飛び出した。みんな泣いた。たかが県大会を決めたぐらいの出来事が僕の長い人生の中の大切な記憶のだいぶ上位に食い込んできた。

県大会を決めた後のゲームは嬉しさをも書き換える何も残らないゲームだった。

県大会を決めた2時間後、僕らは準々決勝に臨んだ。河川敷のグラウンドはバウンドがイレギュラーで強い風も吹く。負けたら終わりのプレッシャーから解放されたはずなのに、環境の難しさと慣れきれない公式戦の重圧を理由にピッチの中にいた彼らが選択したサッカーは今まで一度もしたことのないサッカーだった。蹴れないキーパーの代わりにCBが代わりにゴールキックを蹴る。そんなこと一度もやったことがない。用意してきたB-upの構造も作らない。気づけば優勝を目指した東部大会はベスト8で幕を閉じた。

ゲーム後、選手と話をした。何人かの選手が口にした「怖かった」という言葉こそ、ピッチの中と外の温度や景色の違いなんだと気づかされた。

僕はちょっと後悔したことがある。

純粋に嬉しい県大会出場だったのに、もっと褒めてあげて、喜んであげたらよかったのに、どこか意地になって''(やってきたことから)逃げた''と言ってしまったのだ。

負けたら終わりのプレッシャーはピッチに立たなかったらわからないのに、僕らは選手だったこともあるからそんなことは理解しているはずなのに、彼らのとった選択を尊重してあげることができなかった。

いつもは冷静な選手達ですらバタついてしまうそんな独特の緊張感があったんだろうと、気づいたのは帰りの車で、間違った言葉が彼らに届いた1時間後のことだった。

休みの日も自主練に誘えば全員が集まるサッカー小僧達が初めてオフがほしいと口にするぐらいには心理的に疲労するような難しいゲームだったのだ。

県大会の1回戦から浜松開誠館を引いちゃった話。

ベスト8で負けたチームは順位決定戦をせずくじによって県大会の組み合わせを決める。
自慢じゃないが僕のくじ運はそこそこいい。小さな頃は福引をする度に自転車や洗濯機を引き当てる神童だったし、去年の修学旅行では32種類あると言われている伏見稲荷のおみくじで大吉を引いた。

「(ワンチャンベスト8ぐらいまでいけそうなどっかの6位🙏 ワンチャンベスト8ぐらいまでいけそうなどっかの6位🙏)」
「東部7位は、、、浜松開誠館です」
「ははは(終わったー)」
「頑張ってね」

「今日はお疲れ様。県大会おめでとう。凄く嬉しかった。ただ課題が残るゲームだったよね、納得のいくサッカーができたかと言ったらそこからは程遠い。積み重ねてきたものを怖さに負けて出せなかった悔しさがある。だから県大会までの1週間はやれることすべてやって強くなって乗り込もう」
「はい!」
「県大会の初戦は浜松開誠館です」
「(うわマジかやったなこいつ)すげぇ」
「(山田マジでいい加減にせぇよ)中体連までに全国1位の基準知れるの嬉しいです」
「(お前2度とクジ引くなよ)マジで頑張りましょ!」

東部で学んだのは負けた痛みよりも挑戦することから逃げた痛みの方がずっと残るということ、彼らにかかる強いストレスを和らげる言葉や戦況を変える戦術的な介入ができずに''無策''で負けた悔しさは嫌な残り方をすること、開誠館を引くとみんな苦笑いすることだ。

だからだ。きっとフットボールを舐めている僕に神様が本気で準備をするきっかけをくれたのだ。人生はいつだってタイミングときっかけで好転していくのだから。

「指導者としての僕にとっても、選手としてのみんなにとってもサッカー人生のターニングポイントになるゲームにしよう」

そう伝えて来たる決戦に向けて僕らは準備を始めた。

来たる決戦に向けて

浜松開誠館中は全中王者だ。県内外から厳しい競争を求めて選手が集まる。2ndチームですら静岡県の1部リーグに所属するのだから層の厚さは公立の中学校とは比べものにならない。

一方僕らは田舎の公立の中体連。数名を除いて、1つの少年団から街クラブに行かない選手が集まる。

そんなチームが全中チャンピオンに本気で立ち向かうためには相当な準備が必要なことは明らかだった。

普段地区では自分達がボールを握るゲームが多いのだが、圧倒的に差があることがわかっていたため普段採用する4231(442)ではなく541でブロックの位置をいつもよりも下げて戦いたいことを共有した。重心は下がるものの別に勝ちにいくことを捨てたわけではない。開誠館相手でも質的に優位を取れる選手が何人かいると踏んでいたから、どこでボールを奪ってどの経由でカウンターを発動するかまでのプランニングをした。

ボール保持時は343を採用することにした。非保持の541を考えるといつもの4231よりもスムーズに541に移行できると考えたのと、いつもの4バック(2CB)で相手の出方を見てローテを起こすよりも、あらかじめ3バックで相手の2トップ(1トップ)を見た方が戦術的な負荷が低いと判断したこと、WBを置くことで外ルートでのB-upの方がプレッシャーのかかる状況下でも実行しやすいと考えた。WBを担うのは2年生だが賢さのある選手達で、CBへのプレッシャーのかかり具合で高さの調節を、出てくる枚数に応じて低さで5×3を作ることをTRで確認した。

県大会からゲームの時間が30分になる。5人を怪我で欠いているため、交代で使える選手には限りがある。そのため、出場可能な選手のコンディションを100%良い状態にしようと松本圭介にアドバイスをもらいながらピリオダイゼーションの考えをベースにトレーニングをデザインした。と言っても公立の中学校のTR時間と使えるスペースは限られており1時間のTRの中で適切な負荷をかけ、最大の恩恵を得られたかどうかは微妙だ、もう気持ちの問題である。ただ僕らの平日TRは年間を通してスモールサイドゲームが軸にあり、顧問も入ったバチバチのゲームの強度に週末のゲーム強度に依存するのがわかっているから誰一人手を抜くことはなかった。

ピッチ上で高い強度で戦うために、食事や水分にも気をつけた。当日までとにかく体内の糖質量や水分量を増やすために炭水化物や水分をできるだけ取れるように保護者に協力をお願いした。カーボローディングやウォーターローディング的な話は中学生にはやや難しさもあるが、エネルギー1つでスプリントが1本でも2本でも増えるならやれることは全部やる、そんな気概が大事だと伝えた。ピッチのパフォーマンスを上げるために、ピッチ外の生活にどれだけこだわることができるかが戦う気持ちというやつだろう。

メンタルの話もした。外から見ている景色とピッチで見ている景色には大きな差があって、ピッチの中にいるとプレッシャーから心理的視野狭窄(過度なストレスやプレッシャーで心の視野も体の視野も狭くなる)で取れる情報が少なくなることを説明し、以前僕が勤めていた学校の選手が静岡学園中と戦った時のゲームの映像があったからそれを共有した。選手達は映像から「もったいない」「ただ蹴っても何も起きないだろ」「守備もっとこうした方がいいな」がわかった。でもピッチに立ったらそれが難しいのも理解している。

公立中学校と静岡の私学には差がある。でもやれることもある、60分のゲームの中で勇敢に戦える部分もあると思っている。心理的視野狭窄に陥らない方法のひとつは心理的視野狭窄が起きると取れる情報が少なくなる、それを自覚しておくことだ。相手をリスペクトするのは大事だけれど、凄い相手だからと戦う前からあきらめてしまうと余計に見えるものが減ってしまう。大谷翔平が「憧れるのをやめましょう」と言っていたのにはきっとそんな理由がある。

いざ決戦、浜松開誠館

大きく雨が降った後、濡れたピッチでゲームは始まった。僕ら側のエンドはB-upのオープニングの水が多く、芝が寝ていた。

開始3分CBからボランチにつけたボールを失い失点を許した。止まるボール、スリッピーなピッチならなおさらに''ゲームの入りのリスクは何があっても回避する''必要があっただろう。もしそれが当たり前の土壌で育ってきていたなら防げた失点かもしれないけれど、僕らは彼らとずっとチャレンジすることで進んできた。緊張すると人は慣れたことをするのだから今日ここでのサッカーは間違えたかもしれないけれど、それもまた自分達のサッカーを求めた結果なのだと少し嬉しくなった。それが僕が今日まで県大会に進むことができなかった理由なのだけど。

数分後にはオフサイドを勝手にジャッジしてキーパーが相手に転がして渡し失点した。失点の仕方が正気ではない。

そこから一気に崩れた。早い時間の失点から1点への執着が消えた。1点の価値が軽視されるとそれぞれが与えられたルールを守れなくなった。相手のテンポの速いB-upに1人、2人食いついて飛び出してしまうことで、5と4のブロックが開くようになった。

冷静に振り返るとラインの設定が高すぎた。初めから引いてしまうとサンドバッグにされるからとサークルトップぐらいからの守備を約束していたのだけれど、実際はもっと高かった。きっとピッチにいた選手達も僕らも感じた圧倒的ではない、むしろどこか付け入る隙がありそうだと思えてしまう力の差が、割り切れなさを生んだのだ。その割り切れなさが妙な自信と自分勝手を生んで、何もできないわけではないのに気づいた時にはもう手遅れな点差がついた。

思えば541を採用した理由はJリーグや欧州のゲームから堅い守備だと教わったからだった。たまたま以前に一度採用した時に高校生相手に守れた時間が長かったというのもあったが、選手達からしたら慣れた景色ではなかったと思う。それにあの時は圧倒的な差があったからもっと低く使い方もちゃんと541らしかった。

今思うと僕が選んだ付け焼き刃の343が彼らを苦しめたんだと思う。外側を1人ずつ降ろす541への移行はボード上では簡単だが、ピッチで実行する選手達には使い方のよくわからない''いいと言われたから''以外使う理由のないシステムだったのだと思う。

それに東部で''逃げた''と言ってしまったから、それを伏線にきっと彼らがサッカーを選べなくなった。そこに水溜まりがあっても必ずCBにつけたところからスタートしたのだ。きっと蹴ると僕の''逃げた''が聞こえてくるのだろう。つくづく僕は言葉を間違える。

ハーフタイムに戻ってくると選手達は落ち込む様子もなく自分達で話を始めた。半年前このチームを始めた時には立ち位置に理由もなく、お互いの上手くいかないことだけに苛立ちバラバラだった彼らがロジカルに話を始めた。

限られた時間の中で僕らがこだわったのは彼らの頭の中を変えていくことだった。だから望んだのは常に考え、自分達でサッカーを選んでいく姿だった。

ピッチで見える景色と外から見える景色は違うから彼らの感覚を信じたい、彼らの提案してきたポジションの変更も喜んで許可をした。

後半、ボランチに置いていた選手をWGに置いた。ゲームが始まるとラインの高さが10mほど下がった。ラインもきれいに揃いあきらかに54のブロックが見え始めた。

ボール保持時も何かが吹っ切れたのが見えた。

前半は水溜りが多くボール止まるのが怖く3バックの距離が近過ぎた。そんなこともあり2トップを上手く剥がせなかったのだが、後半水溜まりの少ないサイド変わったら幅を取って運べるスペースができた一度の成功体験からどんどん運べるようになった。''怖いと思ってたけど意外といける''強度に慣れきっと視界が開けた瞬間が見えた。

B-upの形も変わった。343外経由でWBの高さでボールを逃す構造から、WBにいた選手が内側のポジションを取るようになった。すると相手は内側を気にし始め、WGまでボールが届きやすくなった。基準点を絞らせないことで、自分達で相手の強度を落とした。


WBに置いた選手が内側のポジションを取り始めた

0-9で負けていた後半、彼らは見事なまでに自分達のサッカーを貫く違うチームになってみせた。

僕の選んだサッカーは負けて、彼らのサッカーが勝った。

彼らだけはあのピッチでサッカーをあきらめなかった。

果たして僕は本気だったのか?

僕は「本気の失敗には価値がある」といつだってやれることはすべてやろうと一生懸命に生きている。僕が生きてきたその生き方はとても素敵なものだったから子ども達にも一生懸命であることを求めている。

このゲームだって自分のターニングポイントにしたいと本気で準備をしてきたつもりだった。

でも間に合わなかった。

後半見せたあの強度のゲームを前半からもってくることができなかったのだ。その週の火曜日、自分の整理ができていない状態では臨めないと高校とのTRMを断った。もしあそこで同じような強度に慣れていたら、541か、442か自分たちの適性を見ることができたら彼らにより多くの自信を土産にさせてあげられたかもしれない。

多分このゲーム、次やれば2-4ぐらいにはなるゲームだ。

映像だって知り合いの知り合いぐらいを辿って手に入れるべきだった。手に入れようともしなかった。

思いつかないけれど、もっとやることがあった、本気なら。

試合後、開誠館と戦うことを伝えてしまっていた知り合いから感想を聞かれた。慰めのようにもらう「リソースが違うからね」にとりあえずの納得の表情を見せながらも、心の底で納得のいっていない自分がいるがわかった。

リソースがないと言うけれど、リソースを作るのが僕らの仕事だ。はなっからあきらめてしまうのなら指導者なんか辞めたらいい。

「うちの子が小学生の時よりも上手く見えます」あるお母さんから言われた言葉が嬉しかった。上手く見えるのは選手がちゃんとチームにマッチしていて、その選手の良さがちゃんと見える適性を生かせるサッカーを自分達で選べたからなのだ。

そうだトレンドと戦うんじゃない、ちゃんと自分達の目で見てきた選手達と戦うんだった。

僕らは自分達と一緒に育ってきた選手達にどこに出しても恥ずかしくない信頼がある。だから彼らが自信をもって戦うために準備をするのだ。

僕らはこれからも色んなフットボールを経験する必要がある。今回のように明らかに劣勢の場面でも光が見えるなら本気で準備をする必要があるのだ。

日常のレベルを上げよう。

また戻ってくるために。

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