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僕とある指導者の話

誰しも持つであろう理想の指導者像は、たくさんの指導者との出逢いの先にあるものです。たくさんの出逢いの中から「自分はこうなりたい」と「自分はこうはなりたくない」を天秤にかけ、残ったエッセンスで理想の指導者像は出来上がっていきます。

僕はこれまで時間が許す限りたくさんの指導者に会って来ました。日本代表経験のある方、元Jリーグで指揮を取っていた方、有名街クラブで指導をされている方、みなさんその節はお世話になりました。

それぞれ色がありますが、どうやらライセンスの上級者ということが、必ずしも自分が抱く理想の条件ではないようです。サッカーを知っていることはもちろん、子どもが好きで、温かくて謙虚な姿勢を持っていて、こんな僕からも学ぶことがあると話を聞いてくれる、そんな人に僕は惹かれていくようです。

みなさんの理想の指導者はどんな人ですか?

さて、今日僕はある指導者の方に出逢いました。その指導者の方は、昨年ジュニアの指導を始める前は、ジュニアユース世代を見られていたといいます。ジュニアユースとジュニアでは、理解できるものの差が大きいため、そのギャップに苦労するんですよね。ましてやカテゴリーが低学年とくると伝え方を間違えるとまったく伝わらない。トレーニングの中で伝えたかったことが伝わらずに苛立っているのがわかりました。

低学年の子ども達は本当に自由ですから、プラン通りにトレーニングが進まないことなんて日常茶飯事です。それでもその方は、なんとか自分のプラン通りに進めようと、ちょっとした子どもの無邪気さにも目を向けられず焦っていたように感じます。あとで聞くと、「いつもは見逃せることも今日は仕事で色々あって心の余裕がなかった」とのこと。気持ちはわかりますが、指導者たるもの、仕事に追われて余裕がない中でも、子どもの前に立ったら、いつも変わらないコーチでありたいですよね。子どもからしたら、そんなの知らん状態なわけですから。

今日そのチームは1学年上のカテゴリーとゲームを行っていました。いつもは善戦するということだったので期待をしていましたが、今日は12分×3のゲームで1-10と惨敗を喫していました。相手は1学年上ということで、終始ボールを持たれる展開でした。その中で、その指導者の方は選手のポジションの修正が上手くいかずに、「もっと右」「もっと高く」「後ろ重すぎ」とまるでコントローラーで選手を動かしているようでした。理想のサッカーを押し付けるような姿にはどこか寂しさを覚えました。失点を重ねる度に、口調に苛立ちが見えるその方を見て、許されるもんならぶん殴ってやりたくなりました。子どもをなんだと思ってるんだと。

今日のトレーニングのあと、なんだか寂しそうな子ども達の姿を見ました。見たくなかったですね、子どものあんな姿は。色んな指導者を見てきましたが、正直この人ほど指導者に向かない人もいないんじゃないかなと思います。





これが今日の僕です。






もう二度と今日みたいな指導はしないと心に誓いました。自分は何者でもないのだから、謙虚に学び続けるしかないのです。出直します。

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