私とインターネットと音楽

はじめまして。私は山田アルテミスといいます。

子供の頃からインターネットを使い、インターネットとともに育ち、ついにインターネットになりました。

今回は私がインターネットで経験した音楽について書きたいと思います。

インターネットで流行した音楽にいくつも触れた

インターネットには音楽の流行がいくつかありました。MIDIでゲーム曲をコピーしたりアレンジしていたり、MODという形式の音楽があったり、BMSが流行ったり、Muzie(旧My-melody)ではバンド系の人も音楽をアップしていました。あとは着メロを自作したりしてました。

2chという掲示板群がありました。2chでも音楽のブームがあり、私も一部触れていました。

テクノ板でのムネオハウス、DTM板で「*99の指定した曲を*00が作ってみるスレ」、レトロゲーム板の「ゲームのBGMに歌詞を付けてみるスレ」、楽器作曲板でゲームのBGMを演奏するスレなどです。

その後ニコニコ動画やYouTubeなどが出てきますが、今回はそれ以前の話を少し掘り下げようと思います。

MIDI文化とゲームミュージックアレンジ

DTMという言葉は和製英語で海外ではComputer Musicなどというらしいです。MIDIが流行していた90年代後半~2000年代前半、当時DTMとは主にMIDIデータを作ることでした。

MIDIデータは簡単に言うと楽譜データのようなものです。MIDI音源というものがないと音を鳴らせないのですが、同じMIDI音源を持っていればMIDIデータの数キロバイトをやりとりするだけで全く同じ音が出せるので便利でした。

当時はインターネットの速度は秒速約7KBしかでなかったですし、HDDのストレージの容量も4GBのくらいでしたので、自作の音楽を作成し発表するにはMIDIのようにファイルサイズが小さいものが最適でした。

90年代後半は版権曲をアップロードしていた人が大量にいたのですが、2000年あたりからはJASRACが版権曲のMIDIから料金を取るようになったので、版権曲のMIDIをアップする人はいなくなりました。

その時多くのMIDIサイトが閉鎖しましたが、オリジナル中心のサイトやJASRAC登録されていないゲーム曲は公開できたのでゲームミュージック系のMIDIサイトは生き残りました。

私はその時のMIDIデータを大量に保存して聴いていました。ゲーム曲のコピー曲やアレンジ曲などたくさん公開されていたので聴いていました。一人の方が同じ曲を何パターンもアレンジしたり、複数人でアレンジメドレーを作ったりと楽しそうでした。

なので現在私もアレンジを大量に投稿しています。あのときの経験が今に生きているのですね。

2000年代中盤あたりからはインターネットが高速化したので自作の音楽をMP3で発表する人も増えきて衰退していきました。

MODという文化

MIDIのほかにもMODという音楽形式もありました。MODの歴史についてはあまり詳しく知らないのですが、93年~95年あたりに流行ったようです。

MODはMIDIと違い音声データも内包していました。ですがMP3やWAVファイルのように始めから最後まで音のデータというわけではなく、サンプリング素材のような単音の音データ(例えばピアノのドの音だけ、スネアのワンショットなど)が含まれていて、それをMIDIデータのような楽譜情報のようなものに沿って再生するという形式です。

これはあまり日本人の間では使われていなかったので、私は海外サイトまで行って集めてました。

サンプリング素材そのまま持ってきたようなMODデータが多くてMIDIよりも音が良かったので、個人的にはとても好きでした。

ですが私がインターネットで曲を集めはじめた時点ではもうMODの流行が終わっていたらしく、新曲がアップされていないという状況でした。ですが当時の名曲はいくつか聴きましたし、刺激を受けました。

BMSとクラブミュージック

BMSというものもありました。BMSとはビートマニアのようなフリーパソコンゲームの音楽データのことです。

BMSにはオリジナル曲が大量にあったのでよく集めていました。BMSデータは数メガバイトになるのでダウンロードに時間がかかりましたし、HDDの容量を圧迫しました。

BMSはビートマニアに影響を受けた方が曲を作っていることが多かったので、テクノ系、エレクトロニック系の音楽が多かったです。

当時私もビートマニアをしていましたのでテクノやトランスなどをよく聴いていました。

初めて曲を作ったのも実はBMSだったので、当時聴いていたエレクトロニック系の音楽も自分の作る音楽のルーツとなっています。

そして当時ドリームトランスで有名なRobert Milesを知り、CD「Dreamland」を買いました。地元のCD屋さんにはどこにも売っていなかったのでネットで買った覚えがあります。

それから10年とすこしたったあとドリームトランスを作りアップしました。当時の経験が生きていますね。

東方Projectとニコ動でのブーム

少し関係ない話ですが、BMSにハマっていた時に東方Projectというものを知りました。まだ紅魔郷しか出ていない頃でした。BMS作者の方々が東方にハマっていき、東方のBGMをアレンジしはじめるということがあったので知っていました。

また、コンシューマーゲームの音楽のアレンジを作っていた方もエロゲーや東方のアレンジを作り始めたりすることがあったので知っていました。

2chでもDTM板などで東方の音楽が話題になることがありました。東方旧作のほうが音楽がいいよという書き込みが結構あったことを覚えています。自分も紅魔郷以降の曲も好きですが旧作の曲のほうが好きです。

その後ニコニコ動画で東方がものすごく流行ったのでびっくりしました。こんな流行り方があるのかと思いました。

そんな自分も後追いで東方の世界に足を踏み入れ、例大祭という東方オンリー同人イベントに行ったり、東方アレンジを作ったりすることになるとは東方を知った当時の自分には考えられないと思います。

インターネットが私を作った

私が如何にインターネットに依存しているか音楽の話だけでもわかったと思います。

私はインターネットとともに育ち現実から逃れてきました。なのでインターネットでVtuberになることは必然だと言えるのです。そんなことが私の作る音楽からも現れています。

東方以降の話も書けますが続きを書くかどうかはわかりません。

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