感想記「光る君へ」第41回から第44回まで
これまで旅行記の枕話としてNHK大河ドラマ『光る君へ』の感想を書いてきました。第41回から第44回までの感想をまとめています。ただそれだけだとつまらないので当時の感想を振り返る「あとがき」を追記しました。かなり読み応えのある文章量となっていますのでお時間あるときに読んで頂けたなら幸いです。
長文を読むのが苦手な方、ドラマを観ていない人にも楽しんで頂きたいので京都検定のときに撮影した京阪電車の鉄道写真を掲載しています。
それでは感想記「光る君へ」をご覧ください。
目次
はじめに
平安貴族をテーマにした大河ドラマということで感想記の中に「宗教」「政治」の話が出てきます。現代の状況を例に挙げていていますがそれらはすべて私見であり、読者の皆様に私の思想や理念を押しつける意図はまったくございません。もしかしたら不快な表現があるかもしれません。不適切な言葉が見つかり次第、随時修正をしますのでご容赦くださいませ。
あとここを討論の場にするつもりはありません。見解の相違を主張されたい方はこことは関係のないご自身の場所で書いて頂けると助かります。相互不干渉でよろしくお願いします。
第41回「揺らぎ」
大河ドラマ"光る君へ"第41回「揺らぎ」観ました。
双寿丸との会話から仲間が大事だということを知り中宮彰子に提言した藤式部。先日衆院選が行われました。シルバー民主主義を打ち破りたいのであれば彰子のように若者同士で徒党を組めばいいんです。例えば被選挙権を持っているインフルエンサーがリーダーになって政党を立ち上げる。人気ユーチューバーであれば選挙資金はなんとかなりますし支援する人も多くいるはずです。20代の投票率を上げるという途方もない目標よりずっと有意義で現実的ですよ。
正直な話、高齢者のために若者が全てを背負うなんてバカげてます。医療費と介護費に数十兆円。どんなに増税したって払える額じゃありません。橋下徹時代の大阪維新はこう訴えていました。未来のために高齢者が率先して身を切るべきだって。ただこの考え方って「高齢者は集団自決せよ!」と言った成田悠輔さんの主張とまんま同じなんですよね。言い出しっぺが高齢者になったときに必ずブーメランになって返ってきます。とっととくたばれ。姨捨山に捨てるぞって。どの党も票を失いたくないので高齢者に大きな負担を強いることができません。だからシルバー民主主義って厄介なんです。若者を虐げる国家に未来はないって思うんですけどね。高齢者の国ニッポンが今後も生き残るためには若者のパワーが必要不可欠です。有能な20代って実はたくさんいるんですよ。
政治権力を得たいなら仲間を集める。鉄則中の鉄則です。岸田文雄前総理大臣が派閥解体をしました。しかし自民党総裁選の裏では旧岸田派が暗躍。石破茂氏を推して高市早苗氏を倒しました。岸田氏がキングメーカーと呼ばれているのは『裏派閥』のおかげといっても過言ではありません。そもそも世襲も派閥もそれ自体は別に悪いことではありません。能力のない暴君が要職につくことが問題なだけで、徳川幕府は二代目と三代目が優秀だったから270年近く政権が続きました。信賞必罰の自浄作用がしっかり働いていれば友達や身内を優遇してもいいんです。
「担ぐ神輿は軽くていい」という考え方は平安時代から続く日本の伝統です。しかし本来のリーダーの役目は有能な部下を集めて方向性を定めることにあります。道長と彰子の親子対決。私は中宮さまを応援したいですね。
藤式部
『誰も彼もいずれは黄泉路へ旅立つと思えば、早めに終わってしまった方が楽だと思うこともございます。』
これは自死を唆す言葉にも見えます。私はまったくの逆の意味に捉えました。人はどうせ死ぬのだから遠い未来のことを心配せず目の前のことだけ一生懸命になればいい、と。命には限りがありますからいくら民のためといっても永遠に権力の座につくことはできません。腹心の藤原行成が諌めていたように、道長はあとのことを心配しすぎて目の前のことを疎かにしているように感じました。中関白家はすでに風前の灯。藤原隆家は恭順の意を示している中で敦康親王を蔑ろにする。完全に死体蹴りですよ。行成が怒るのはもっともです。
第42回「川辺の誓い」
大河ドラマ"光る君へ"第42回「川辺の誓い」観ました。
源氏物語五十四帖の一つ、『雲隠』は巻名のみが現代に伝わり本文は一切ありません。散佚した説、光源氏の死を表現するためにあえて何も書かなかった説など、その理由を巡って後世の人間が必死に議論をしています。しかし結論には至っていません。大河ドラマでは役目を果たしたということで藤式部は筆を下ろし実家へ帰ります。一条天皇が亡くなり中宮彰子が立派に成長したので自分は不要だと思ったのでしょう。
『雲隠』を含める数え方は中世以前に多く、含めない数え方は近世以後に多いというウィキペディアの情報を知って私は驚きました。後者は何も書かれていないのだから無きモノにしてしまえ、という出版社のビジネス的な都合が垣間見えます。私は大河ドラマと同じ解釈の前者を支持します。次のページを開いたら紙面は真っ白。人気漫画でも採用されている手法です。紫式部は大変聡明な方で、劇中では読者の想像に任せるというスタンスを天皇に対しても守り通してきました。光る君の死はあなたたちのイメージで補ってくださいね。これが『雲隠』の真相ではないかと私は考えます。
庵野秀明監督作品『エヴァンゲリオン』では、作者自身が伏線も裏設定も考えていないのにファンが議論を重ねてたくさんの考察が生まれました。雲隠に何も書かなかった紫式部は庵野監督と同じように光る君の最期が思いつかなかっただけなのかもしれません。キレイに完結するのが苦手な天才作家は今でもたくさんいます。ハンターハンターの冨樫義博さんが一番有名な例でしょう。4年ぶりに最新作が11月に出る涼宮ハルヒシリーズもそうですよね。読み手の想像力は時に原作を遥かに超えることがあります。源氏物語の噂が広まり30巻あたりで貴族からの期待が相当膨らんでいたのでしょう。暴発に近い期待に対して紫式部はあえて書かないという選択肢を選んだ。いいえ、それしか残されていなかったのかもしれません。
前回、まひろは役割を終え藤原道長は死に向かいつつあるという考察をしました。展開予想が的中してしまった私は宇治川のシーンで泣くに泣けませんでした。コナンやワンピースの考察はあらゆる方面からなされていて、一種のネタバレとなり作者はにっちもさっちもいかない状況に陥っています。長編モノの宿命とはいえ考察は感動を薄める大きな要因となります。考えるにしてもほどほどにしたほうがいいのかもしれませんね。今回の感想はこんなところでしょうか。
第43回「輝きののちに」
大河ドラマ"光る君へ"第43回「輝きののちに」観ました。
この日の視聴率10.3%で4週ぶりに2ケタになったそうです。これは『黒光りの君』こと藤原実資さねすけさまご活躍によるものなのでしょうか。実資の存在感はやはり抜群ですね。道長との対決は視聴者のわたしも圧倒されました。藤原斉信ことはんにゃ金田さんがユーチューブで裏話をされていてどうやらあのシーン撮影スゴく大変だったんですって。なるほど、だから迫真の演技がみれたんですね。第42回では子どもをあやす場面がありました。ギャップ萌えですよ。他のドラマでも秋山竜次さんを拝見したいものです。
第43回は一話挟んだかのような劇的な変化がございましたね。
清少納言の恨みはいつの間にか消失し、藤原道長は三条天皇に譲位を進言するほどに元気を取り戻していました。そんな中、賢子の初恋相手の双寿丸は太宰府に向かう藤原隆家に従う平為賢のお供として都を離れることになります。これは遠くの国へ行きたいと願った道長とまひろのセルフオマージュってな感じで、双寿丸は賢子との駆け落ちを選びませんでした。たぶん武士として名を挙げることが彼にとっての一番の優先順位だったのでしょう。さて目の治療をしに太宰府へ下る隆家。宋の優秀な医者の助手がまさかの周明ちょうみんだったらかなりの胸熱展開ですよ。なにはともあれ太宰府シーンどう描かれるか今から楽しみです。
『男ってなんか泣いていい場所じゃないと泣けないんでしょ?』『たぶん女の胸の中だった気がする。』『惚れた女の胸で男は泣いてもいい!お嬢が言ってた!』(Re:ゼロから始める異世界生活 第53話より)
私の胸で泣きなさいというセリフを聞いて咄嗟にリゼロ3期の名場面を思い出しました。親しい人の胸で泣くって人それぞれのドラマがあるわけですよ。私は賢子の号泣を期待してワクワクしていました。結果は皆様御存知の通り見事に裏切られましたよ。しかしあの素っ気ない素振りも愛情表現のひとつなんですよね。二人の間には笑顔があふれていました。愛に打ち砕かれたときに救ってくれるのはやっぱり愛なんです。母娘のシーンにほっこりした私です。
第44回「望月の夜」
大河ドラマ"光る君へ"第44回「望月の夜」観ました。
藤原道長といえばの『望月の歌』がようやく出てきましたね。彼の代名詞になっています。今回はあの宴のシーンについて語ろうかと思います。解釈に幅を持たせる演出がなされていましたね。我が身の栄華を誇る歌であると感じた人。切なさや儚さを詠んだものであると思った人。SNSやnoteで三者三様の感想を拝見しました。私は後者派です。
三人の娘が天皇の皇后になる一家三后。
日本史上一番盤石であった徳川幕府でさえ成し得なかったとてつもない偉業です。ただドラマでは太皇太后・皇太后・中宮の三人とも父道長に対し不満をタラタラ。四納言の行成や公任からも苦言を呈されとてもこの世の栄華を極めた人物には見えませんでした。これは道長の私的な部分をドラマで描き過ぎて威厳が損なわれてしまった結果、望月の歌が切なく映ってしまったのでしょう。
藤原斉信を演じているはんにゃ金田さん。
唱和の場面で「なんだこれ?」感が拭えず顔が笑っていた感じになっていた、とユーチューブでスタッフに指摘されていました。私は中学校の英語の時間で先生のあとに続いて生徒全員が復唱するアレを思い出しましたよ。俯瞰でみると確かに滑稽なんですよね。恥ずかしすぎて日本に来ている外国人たちに当時の授業を見せたくありません。
史実とドラマの整合性を合わせる作業ってホント難しいんですよね。
前作のどうする家康も「どうする?」と選択肢に悩む場面が中盤以降無くなったと聞きました。視聴者に解釈を委ねるという手法に関しては個人的にかなり良かったと思っています。ただ望月の歌が控えている中、情けない道長を描き過ぎてしまったためチグハグ感を否めることができず、もし全体の評判が悪ければ叩かれる大きな要素になっていたことでしょう。
なにはともあれこの歌を詠んだということは最終回がもう間近であることを意味します。充実した日曜夜の一時間はついにラストスパートを迎えました。最後の最後まで応援していきますよ。
結び
最終回が今週控えているので第44回までの感想を急いでまとめました。現時点ではどういう結末を迎えるのかまったく想像がつきません。いろいろと思うところはありますが、まぁそこらへんは次回の感想記に取っておくことにしましょう。
最後のおまけは掲載した鉄道写真に関連した内容となっています。ご興味のある方はそちらもぜひ読んでみてください。
以上です。ご精読ありがとうございました。
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おまけ
リクライニングシート問題
「座席を倒していいですか?」
「ダメです。」
またこの問題が話題になっていますね。京阪電車のプレミアムカーもリクライニングシートが採用されています。そして私は驚きました。私の前に座っていた人が駅を降りようとしたときにシートの角度を戻したのです。
え?ちょっとまって?
前の人が角度全開で倒していたことに乗車中私はまったく気づいていませんでした。自分も席を倒していたのでどれくらいの角度なのか認識はしていたのですが、最大角度でも全く気にならないくらい前後間隔に余裕がありました。
深夜バスのリクライニングシートって全部倒すと後ろの席から顔が見えるくらい角度が深いんですよね。京阪電車プレミアムカーのように前後の間隔を広げつつ浅い角度にしか倒れないようにすればいちいち後ろの人に配慮するようなことはなくなるかと思います。その分快適性と経済性が損なわれますけれどね。
少しの角度しか動かせないとなれば弁当や飲み物がこぼれる心配もありません。倒れる動作を強制的にゆっくりにすればより万全です。まぁ私がそんな提案をしなくても鉄道会社の人たちは日々サービス向上を考えていますから時代が進めば改善されていくでしょう。
ブラインド開け閉め問題
「眩しいから閉めろや」
リクライニングシートの影に隠れているけれど、ブラインドの開け閉め問題も他者への配慮が必要なんですよね。私は上記のセリフを実際に吐かれたことはありませんがそう思った方は数多くいることでしょう。
観光列車であれば太陽がいくら眩しくても許されます。しかし通勤列車だと当然許されません。見飽きた車窓ですからブラインドやカーテンは閉じるものだというのが通勤客全員の共通認識です。
京阪電車の場合はどうかと申しますと、通勤と観光の両面を併せ持っていますので一概には言えません。我々日本人にとっては当たり前の景色でも外国人観光客にとっては思い出となる車窓ですから、眩しいから閉めろと怒るのは野暮になります。電車好きの子どもに対しても同じです。
京都検定の帰りの電車では西日側に座ったのですが、車掌さんに一番近い席だったからかカーテンもブラインドもなかったのです。眩しいけど文句言うなよ。遮るものはなにもないんだから。
そう思いながら不甲斐ない結果を反省しつつ夕暮れの京都を眺めるワタシでした。
おしまい