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観光記「伏見稲荷大社」2023春




▶前書き

今回は思いっきり趣向を変えて文字のみの記事になっています。画像は載せていません。文字数は五千文字程、原稿用紙十三枚分。自分でいうのもなんですが力作です。私の心情を赤裸々につらつらと綴っています。ジャンルは随筆になるでしょうか。かなりクセの強い卑屈な内容になっているので、少しでも不快に感じたら閉じて頂いて全然構いません。本編と合わせて読んでいただけると大変嬉しく思います。最後まで読んで頂けたら最高に幸せです。まずは伏見稲荷大社の説明からになります。あとがきも書いていますのでもし良かったら。では。


▶伏見稲荷大社とは

伏見稲荷大社は京都市伏見区深草にある神社で、式内社、上七社の一社に名を連ねている。旧社格は官幣大社で現在は単立神社となっている。旧称は稲荷神社で、稲荷山の麓に本殿があり稲荷山全体を神域とする。全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社である。初詣では日本で4番目の最多の参拝者を集める。
京都盆地東山三十六峰最南端の霊峰、稲荷山の西麓に鎮座する稲荷信仰の御本社で、その信仰は稲荷山の3つの峰を神そのものとして崇拝したことを源流とする。初め農耕の神として祀られ、のちに殖産興業の性格が加わって衆庶の篤い信仰を受けた。祭神は宇迦之御魂大神うかのみたまのおおかみ佐田彦大神さたひこのおおかみ大宮能売大神おおみやのめのおおかみ田中大神たなかのおおかみ四大神しのおおかみの五柱である。これらの神々は稲荷大神の広大な神徳の神名化とされている。

伏見稲荷大社 - Wikipediaより引用


▶観光記

1.人生一人旅

私は感情のコントロールがうまくできない気まぐれな人間である。だから人に誘われることがほとんどないし、誘われたとしても一度限りで関係が長続きしたことはほとんどない。学生時代、青春18きっぷを使って旅行した時に同行していた温厚な友人を激怒させたことがある。この一文で私のヤバさを理解していただけたことだろう。
そんなわけで好き好んで一人旅をしているのではなく、選択肢がこれしかないので一人旅をしているというとても残念な性格なのである。生まれてきた意味って何だろうね、と落ち込んだ時期もあった。"来世に賭ける"という選択肢もあったのだが、私は本編で散々語っているように酷い小心者なので死ぬ勇気を持つこともできず、自暴自棄になる気力もなく、なんとなく生きている人生をずっと過ごしていた。長い長い冬が終わりを告げた頃に悟りというやつだろうか。どうせ老い先短い人生になりそうだしやり残してきたことを今のうちにやってみよう。そうして始めたのが春の鹿児島旅行と旅noteのアカウント作成。お伊勢詣りやお稲荷さんの参拝も"わたしのやりたいことリスト"に挙げられていたものだった。"一年の計は元旦にあり"という諺があるが私の人生再出発の旅は2023年春に始まった。



2.ローマは一日にして成らず

ワンピースよりもハンターハンターが好きな私は王道よりも邪道が大好きなひねくれ者でもあった。簡単に言い換えると"厨二病"というやつである。私はこれまで平安神宮も南禅寺も伏見稲荷大社も行ったことがなかった。人気の観光地に訪れることはダサいと思っていた。そして誰も知らない穴場を探検することが格好良いことだと勝手に思い込んでいた。転機が訪れたのは琵琶湖疏水を学ぶため南禅寺を巡った時だった。私のこれまでの歩みは全て間違いであったことを偉大な水路閣の前で気付かされた。
今では京都観光ベスト3に入るほどの人気観光スポットになっている南禅寺水路閣であるが、作られた当初は地元の人や著名人の猛反発にあったらしい。あの福沢諭吉でさえ反対していたそうだ。水路閣の歴史を知った私は自分の浅はかさを大いに恥じた。"ローマは一日にして成らず"という言葉を真の意味で理解した瞬間だった。あの時南禅寺へ行かなければ平安神宮は疎か伏見稲荷大社に行くことさえなかっただろう。



3.梅雨晴間を待つ日々

"伏見稲荷に詣でたい"という記事を六月下旬に投稿したのだが、実はこのような背景が私の中にあったのである。まぁ記事でも私の心情を書いてはいるのだが、奥底まで書いたのは今回が初めてである。身の上話はこのへんで終えるとして、ここからは伏見稲荷大社へ詣るまでの経緯を皆様にお伝えしたい。
私は借金とか夏休みの宿題とか課題をそのまま残しておくのが大嫌い。願望の記事を書いた時点ですでに伏見稲荷大社へ行くことは決めていた。あとはスケジュールと天候次第。私の撮影機材は雨に大変弱い。しかし六月はもちろん梅雨の時期。しばらく天気予報とにらめっこする日が続いた。梅雨明けまで待つ選択肢もあったが結果的にそれを選ばなくて正解だった。もし七月中旬に出かけたら、暑すぎて奥社奉拝所あたりで引き返していただろう。梅雨といっても四六時中雨が降っているというわけではない。"梅雨晴間"という言葉があるようにいつかは晴れる時が来るだろうと確信していた。最高の条件がついにやってきた。予報は晴れ。スケジュールクリア。最高気温予想は30度超えだったが水分補給をしっかりしていればなんとかなるだろう。準備を整えていたのでいつでも出発することができる。いつもより早く寝て明日に備えた。



4.フワちゃんにあって私にないもの

カーテンを開ける。予報通りのいい天気だった。ふと芸能界を騒がせているフワちゃんのことを思い出した。いつも遅刻して必ず忘れ物をするフワハルカもうすぐ三十路。コロナ禍でラジオにハマった私。今でも聞き続けているのはフワちゃんとオードリーのオールナイトニッポン。テレビに出続けているのが信じられないとフワちゃんを叩くヤフコメ民だが、彼らこそが彼女を身近に感じていると私は思っている。時間通りに動く。忘れ物をしてはいけない。それが人として当然のことだ。しかし私はフワちゃんを不快に思ったことは一度もない。なぜなら私は何も損していないからだ。有吉弘行さんや有田哲平さんといった人気者は私と同じ思いなのだろう。お笑い界の人気者は皆フワちゃんを気に入っている。
彼らに共通しているのは自分に絶対の自信を持っている人たち。フワちゃんがいくら遅刻しようが忘れ物をしようが彼らの仕事が減ることはない。だから彼女を可愛がる事ができる。一方彼女を叩くネット民たちはきっと自分に自信がないのだろう。だからちょっとした外的要因でも心が揺さぶられてしまう。『人の悪口を言う人間は自分に品性がないことを白状しているようなものだ。』大河ドラマで豊臣秀吉が言ったセリフであるが真理である。
とまぁ、このように大衆に寄り添えない私はやはり一人旅しかできない寂しい人間だということを証明している。難しい事を考えないで誰彼構わず和気藹々できるフワちゃんのような性格が本当に羨ましい。社会で成功するタイプはもちろん私のような人間ではなくフワちゃんタイプ。先輩に誘われてもいつも一回限り。それは私に可愛げがなかったからだ。



5.せっかち社会

いつも人が多いのに誰もいない。そんな空間が大好きな私。だから旅行をする時は決まって始発を利用することにしている。春の伊勢神宮参拝しかり、今回の伏見稲荷大社参拝しかり。私はお祭り好きとは正反対の位置にいる人間なのだが例外がある。博覧会やディズニーがその例外で数時間待ちであろうがいつまでも待っていられる。このようにとてもややこしい性格なので、私と一緒に行動する人はもちろん皆無である。
人はなぜ合理的に動かないのか。端っこの車両が空いているということは小学生だって知っている。しかし追越車線を走行したがるように、みんなわざわざ一番混雑する階段近くの車両に乗り込む。一分一秒を争う感覚の人が多いのが理由だろう。一年後の100万円より明日の10万円。私には到底理解できないがそれが大衆心理というやつだ。NEXCOがやっているように電車も車両ごとの混雑状況を表示すれば、いい感じで乗客を分散することができるのだが、鉄道会社は絶対にしないと断言できる。なぜなら女性専用車両が存在するからだ。そこだけ空いているとわかれば、必ずクレーム対応に追われることになる。知らないほうが幸せというやつである。まぁ正直な話、鉄道会社がどう対応しようが知ったこっちゃないので、私はいつも通り端っこの車両に乗ることにしている。



6.京都で都構想が禁句のわけ

すでに記事に書いたことだが、今回の参拝で京都市伏見区の広さを改めて知ることとなった。伏見区の面積は約62km²で伏見桃山駅と伏見稲荷駅の間には4つもの停車駅が存在する。大阪で大阪都構想が押し進められたことがあったが、京都で都構想はほぼ不可能と断言していい。京都市内行政区の人口と面積があまりにアンバランスだからだ。伏見区は全国政令指定都市上位10位に入る人口を持っている。区割りをどうすべきか、それだけで永遠に揉めることになるだろう。「京都の名所を一日で巡る」という企画がネットで話題となったが伏見区だけでも一日で廻るのは非常に厳しい。伏見稲荷大社と醍醐寺だけで半日が消えるだろう。酒蔵見学をすればその日は終了となる。醍醐寺エリアと山科エリアは地下鉄東西線で繋がっているため、それらを分区すればいいのではという分区案がある。妙案だと思ったが、区の名称で新たな一悶着が起きるに違いない。数十年後も京都の行政区は変わらぬままといい切れる。まぁこちらについても私の知ったこっちゃないし、京都市民にとっても変化は望まいだろうから放置が吉である。結局何が言いたかったというと伏見区は広い。今回の旅で学んだことである。



7.懐が深いお稲荷さん

ライト層もコア層も受け入れる奥深さ。それが伏見稲荷大社の魅力であり、関西で一番初詣客が来る要因なのかもしれない。千本鳥居が有名のお稲荷さんではあるが、秀吉が作ったと言われる楼門を潜り、外拝殿でお賽銭を投げ入れお参りすれば千本鳥居を見なくてもお詣りは完了となる。ライト層やせっかちさんに優しい神社なのだ。物足りない人や健脚な人は千本鳥居を愛でそのまま稲荷山登頂を目指し"お山巡り"をすればよい。トレッキングを趣味とする人はそのまま京都一周トレイルを辿って北へ向かうのもいいだろう。なんと懐の深い神社だろうか。
私は千本鳥居さえ見れたらそれでいいと思ってお参りしたのだが、思っていたより見どころが多く特にお塚に深い感銘を受けた。こんな素敵な場所があったなんて。一度限りでいいと思っていたのだが近いうちにまた訪れることになるだろう。稲荷山登頂に再挑戦したいしお塚をまた観たい。秋や冬の風景は初夏の景色とまた違ったものになっているだろう。私は恋に似た感情をお稲荷さんに抱いている。



8.上を向いて歩こう

私は伏見稲荷大社でやり残したことがたくさんある。冬であれば虫も猪もいないだろうから落ち着いて伏見神宝神社へお参りすることができる。最近知った情報だが伏見稲荷大社には二つに割れた鳥居"間あき鳥居"があるらしい。十五年前にテレビで紹介されたこともあるナニコレ珍百景だ。地図で確認してみたら歩いた場所にあった。普段下を向いて歩くことが多いのでまったく気づかなかった。坂本九さんの唄った歌詞を熱心に聞いておくべきだった。
皆様はご存知だろうか。千本鳥居ルートが実は遠周りだということを。稲荷山登頂を目指すのであれば十石橋ルートか荒木神社ルート(下山道)のほうが近い。もちろんこれは地図で確認したことであって実際はどうなのかは知らない。急な道であることだけは確かだ。千本鳥居は一度見てお腹いっぱいになったので次は荒木神社ルートから登頂を目指そうと思っている。距離が短ければきっと大丈夫な・・・はず。



9.騙されたと思って

なぜ私の欠点をここまで曝け出したのか。それはここまで読んで頂けた方々に私と同じ道を歩んでほしくないという思いからくるものである。反抗期とかアイデンティティの確立なんてのは中学生の時にやるべきであって、大人がやるものではない。流行に乗っかることは決してダサいことではない。王道を知り王道を歩むことが生きる糧の近道となる。芸能人たちの生き様がわかりやすい。尖ったままで成功しているタレントは誰一人いない。皆強者や大衆に迎合して銭を稼いでいる。生きるためには仕方のないことなのだ。
伏見稲荷大社にまだ行ったことがない人は是非行ってみてほしい。宗教的理由でお参りできないなら裏参道商店街を歩くだけでもいい。せっかちな人は外拝殿だけでいい。エンターテインメントを求める人はおもかる石だけ体験するのもいいかもしれない。月並みな表現ではあるが"騙されたと思って"一度行ってみてほしい。わざわざインドへ行かなくても自分探しができるかもしれないし、なんなら人生観が変わるかもしれない。なぜ文化の異なる外国人をも魅了させるのか。実際に行ってみればその謎が解けるはずである。



10.be ambitious

臆病者であるがゆえに人と同じ行動ができなくて、人を信用できずに壁を作ってしまって、前へ進む勇気と覚悟を持てなくて、これまでなんとなく生きている人生だった。2023年は自分でいうのもなんだが意志と覚悟をしっかり手に持ち一歩一歩進んだ年だったように思う。私を踏み台にして構わない。みんなの幸せが自分の幸せに繋がっていると本気で思っている。私のこれまでのしくじりを教訓に、みんなが前へ進んでいけたらこんな私でも生きてきた価値があったと来世でも誇ることができる。
偏屈な人間の奇妙な駄文を最後まで読んでいただき本当にありがとう。卑屈過ぎると不快に思う方もいるだろうから今回はここまでにしておきたい。もしまた観光記が書く機会があるのなら、暗い話題はなしにして明るいことをたくさん記したいが性格的に無理だろうな。もう一度感謝の言葉を述べて締めとしたい。ご精読誠にありがとうございました。


おわり



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