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【番外編】鼻血を出して救急車で運ばれた話

こんにちは。やまぶきです。
今回もnoteをご覧いただきありがとうございます。

いつもと少しテイストが変わりますが、私の体験談を聞いてください。

私は数年前に大量に鼻血を出したことによって貧血で倒れて救急車で運ばれたことがあるんです。

順を追って詳しく話しますね。今だからカミングアウトする衝撃的なこともあるので、心して聞いてください。


1.心のバランスを崩すまで

ときは106回の国試合格に向けて予備校に通いながら勉強していたときの話です。

国試を経験した方なら分かると思いますが、あれは孤独でつらい戦いです。まして、このときの私は浪人していことに加えて、成績が思うように振るわなかったこともあって、その心にふりかかるプレッシャーたるや、筆舌に尽くしがたかったです。

というのも、毎日一生懸命勉強しているのに、模試の結果が順を追うごとに悪くなったのです。毎日授業も真剣に聞いていたし、確認テストも結果は悪くなかったし、一生懸命勉強しているつもりだったし、勉強方法も間違っているとは思えませんでした。予備校の先生たちに繰り返し相談しても、その原因は分かりませんでした。

そんなことは普通ならばあり得ないと思います。でも、実際に起きたのです。今でもその理由は分かりません。このときの私の気持ちを思うと、今でも胸が張り裂けそうです。

この時点で心の異変に気付いて、病院に行って心のケアをすれば良かったと後悔しています。後になって分かったのですが、私は適応障害と診断されました。うつ病の一歩手前だったそうです。後で詳しく話しますが、この病気が後に尾を引いて、数年にわたって静養することになりました。

思えば、授業中に周囲の貧乏ゆすりやペン回しなどに気を取られて授業に集中できないことがしばしばありました。

そのストレスかどうか分からないですが、夜になっても寝付けず、ようやく寝れても、朝9時30分から予備校の授業があるため、ろくに寝れないまま予備校の授業を受けなければなりませんでした。(ちなみに、当時はコロナ禍だったため、オンライン授業でした)。最初は眠気と戦いながら授業を聞いていたのですが、そのうち限界を迎えて、朝起きれずに授業に遅刻するようになりました。さらに、朝起きれないことで夜寝れなくなり、もっと朝起きれなくなりの悪循環を繰り返し、一番ひどい時には夕方授業が終わってから寝て夜中に起きる生活をしていました。

国試本番を直前に迎える頃には、この昼夜逆転の生活リズムを直そうと思ったのですが、こんないい加減な生活を直すことはできませんでした。

2.国試本番を迎える

そして、106回の国試本番を迎えました。大きなプレッシャーや眠気と戦いながら、試験会場に向かいました。

事件は2日目に起きました。

プレッシャーと緊張感が相まって、ホテルで前の日の夜なかなか寝付けませんでした。一番最後に時計を見たのは朝方の4時30分でした。しかし、一瞬意識が飛んだ後、次に時計を見たら、針は9時30分を指していました。そう、試験が始まる時間です。

このとき、私は頭が真っ白になりました。一年頑張ってきて、寝坊なんかで不合格になるのかと。このあとのことはあまりよく覚えていないのですが、どうやら泣きながら暴れた後、お母さんに電話して平静を取り戻し、急いで試験会場に向かったんだと思います。

2日目の1コマ目は受けられませんでしたが、2コマ目と3コマ目を受けました。1コマを丸々受けないようでは合格点に達することができないのは明らかだったため、心がここにないまま国試に臨んでいました。試験中、親や先生の顔が浮かんでは泣きそうになりながら、必死にこらえていました。

3.いよいよ倒れる

手ごたえなんて感じるはずもなく、失意のどん底のまま、家に帰りました。正直、電車に飛び込むことも考えました。でも、あと一歩のところで勇気が出ませんでした。

家に着いて、自己採点をして改めて不合格を確認した後、実家のお母さんに電話しました。今日あった出来事、そして今までプレッシャーと戦っていたことを嗚咽交じりに話しました。

お母さんは最初は大事な国試に寝坊したことにショックを受けていました。1日ずっと泣いていたそうです。でも、ここに至ったまでの経緯を話すと、理解を示してくれて、精神科に行くことを勧めてくれました。

電話を切って、事件が起きました。鼻血が勢いよく出続けて止まらないのです。ようやく止まったのが1時間くらいした後だと思います。また、少し歩くだけで息切れが止まらなくなったり、めまいを起こしました。今思えば、貧血の典型的な症状でした。

自分の悪いところで、明らかに異常事態なのに、また病院に行きませんでした。

数日後、また鼻血が勢いよく出続けました。しばらくすると止まったので、また病院に行きませんでした。

しかし、勝手が違ったのは次でした。1週間後、また鼻血が出続けました。しかし、何時間経っても鼻血が止まりませんでした。

シンクに鼻血を垂らしながら、これはさすがにかなりやばい病気なのではないかと思いました。下手したらこのまま出血多量で死ぬのではないのかと思いました。ついに、意識朦朧になり、倒れてしまいました。そして、救急車を呼ぶことを決めました。この辺はあまり記憶がないのですが、運ばれながら申し訳ないあまり泣きながら謝っていたのは覚えています。

土曜日の早朝だったため、なかなか耳鼻科の救急を受け付けている病院が見つかりませんでしたが、ひとまず内科の医師が当直している病院が受け入れてくれることになりました。血液検査をしたところ、重度の貧血でした。そこで、出血部位を焼灼し、輸血するなどの治療をして、入院することになりました。しかし、病棟のベッドが足りないということで、耳鼻科のある系列病院に再搬送されることになりました。1週間入院して、無事に退院することができました。

何よりもこのとき輸血を受けたおかげで元気になることができたと思うと、どこの誰かは分かりませんが、善意をもって献血してくださった方には感謝しかありません。

ちなみに、後日聞いた話ですが、私が救急車で運ばれて入院してた間に両親が家を掃除しに来てくれたのですが、殺人現場レベルで部屋一面血まみれだったらしいです。

4.その後

退院してしばらくゆっくりした後、精神科に通うことを決めました。そして、アルバイトをしながら予備校に通わずに次の107回の国試に挑戦することを決めました。

このことを予備校に通っていた当時にお世話になった先生に報告したところ、「何事もなければ合格できた実力はある。今度は1コマを受けられなくても合格できるように頑張れ」と言ってくださいました。この言葉を胸に1年間頑張りました。

なお、1年間病気と戦いながら国試に合格した様子については、詳しくは以下の記事をご参照ください。

1年後、私は晴れて国試に合格することができました。しかし、精神科での治療もあって、少しずつ体調は安定してきましたが、まだまだ薬剤師として働くには不安でした。そこで、2年ほど働かないまま静養しましたが、薬により体調を十分対応できていると考えて、働くことを決めました。

当初、都心近郊の中規模病院を志望していましたが、持病と長いブランクがあるため、就活は思うようになかなか進みませんでした。しかし、実家から通うことができる範囲の病院から、非正規職員であらばということでお話をいただきました。当初の志望とは違う条件だったので悩みましたが、結果的に藁にもすがる思いで返事しました。そして、現在数ヶ月経ちましたが、今ではしっかりとキャリアを作って、またいずれ踏ん切りがついたときに志望しているところにも行けるように、頑張って働いています。

退院してからの話はあまり詳しく話せませんでしたが、また面白い話があれば書きたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
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