ギブファーストの効能

今日はギブファーストの効能を実体験しました。
と言っても、「ギブファースト続けてきたから、私は○○になってきた♩」という話ではありません。
「ギブされたことで、返したい!!という感情がすごく沸き上がってきた。今も湧いている。」という話です。

もらった私が返したいと思えたのは「ギブするまでの過程や努力を想像できるかどうかではないか。」ということ。


今日は、仕事関係の団体の会議・新年会に参加。
そこでの会食で初参加の社長さんと同じテーブルになってたくさんお話を聞きました。始めは、どんなお仕事をしているのか伺っていましたが、とにかくバイタリティが半端ない!!ちょっと凄そうだ…と感じ始めていました。

話が盛り上がり、これまでの失敗も含めて仕事をする上でのヒントや自分のマネジメントの仕方などなど。為になるお話が止まりません。

大げさではなく、目をひん剥いて「すごい!」と称賛し、気になることだらけで質問が溢れてきました。そこに出し惜しみをせずに話をしてくれたのです。

会食がお開きになると、1分でもだらだらと雑談せずにあっという間に帰って行きました。


直後に思うのは「もらってばかりだった。返したい。何か私も返せるものが欲しい」ということでした。

話しながらも考えてはいましたが、多くの経験をしてきたこの方に私が伝えられることってあるのかな?とちっぽけに感じてしまいました。
いや、あるとは思いますが、その場で自信を持って提供できるレベルに仕上げたものはなかったのです。(これは、認識不足による準備不足でもあります。)

おそらく、明日もまたギブを約束してくれましたし、私がやりたいと思っていたことを「教えてあげる」ととても寛容に言ってくださいました。本当に実行に移るかは、これからによりますがその心意気だけでも私は嬉しくて、帰りの電車で何をしたら喜んでもらえるだろうと考えていました。

そしてハタと「これがギブファーストちゃうん?!」(関西弁風は嘘)と。

「クレクレじゃなくてギブファーストしよう」というギブファースト“する側”のことは考えても、“される側”を強く意識したのは初めてでした。


これまで、ギブされてこなかった訳ではありません。むしろたくさんギブされてきました。なんならクレクレなくらいです。かわい子ぶって甘えた振りしてクレクレしまくってた時期もありました。
私が求めていなくても自然発生してくれたギブも、おねだりでくれたギブにも、いつも感謝することは忘れていません。お礼もするし、相応のお返しもしてきました。(嫌々ではありませんよ笑)

ただ…「返したい!返さなくちゃ!」とここまで心から強く思うことは、初めてかもしれない。

この違いってなんだろう??と考えてみました。結構すぐ答えが見つかった。
それは、「ギブするまでの過程や努力を想像できているかどうか」でした。

今日お聞きした話の内容は、その人が人生をかけて努力して失敗してまた努力して考えて…と繰り返し経験してきた賜物です。
今、これから行き方を変えていきたいと強く感じ、自分なりの努力と失敗と思考を続けている私には、その方が経験してきただろうことが貴重で尊いと心底思えたのです。

昔の私は、努力することを嫌っていた甘ったれでした。
相手がくれたギブの真の価値を見切れていなかったのだと思います。それこそ、自然発生しているかのように、軽く見ていたのだと思います。(無意識下です)


1ギブしても1返ってくるものではない。10か100か1000かギブして返ってくるかもしれない。回り回って時間差で返ってくるのかもしれない。返ってくるのを期待してギブする訳ではないけれど、ギブしていたら自然と底上げするように人生が良いものになるかもしれない。周りにいい人が自然と集まり残るんだろう。
そんなことを社長さんを見ながら思いました。本当に最高の笑顔を見せてくださる、素敵な方でした。

自分も努力とギブをし続けられる人でありたいと感じました。


いつもはこういった会食は、時間が勿体無いと思ってあまり参加しないのですが、今日は参加してよかったです。

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