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20221004

2020年2月、新原田橋開通。
地元の方々にとっての待望の出来事を知るよしもなく、ただ時間だけが過ぎる日々を送っていた。
5年という歳月を、大雨や佐久間ダムの放流によって閉ざされてしまう「仮設の道」とともに過ごしてきた地元の方々の気持ちを想像すると、私の過ごしてきた時間との埋めることのかなわない「差」を感じる。
2022年10月4日、続いた展覧会が終わり、一息つくタイミングで思い立った、「目」によるリサーチだった。
未だ目にしたことのない「新原田橋」を探す。
周囲は、三遠南信自動車道の一部開通によりアクセスがよくなっていたが、あえて川沿いの一般道を進む。
原田橋事故の起きた土地柄、川の凹凸、土地の浸食に関わる水の気配、その全てが感じられるからだ。
トンネルだらけの近年の「道」は便利で尊いが、土地の情報隠しのような側面も合わせ持つため、敢えての選択をした。
やはり、「目」の捉える情報のウェイトはなかなかのものである。
秋の晴れ間の中の旅であったが、事故地の数キロ下流に降りたっただけで、この河川の物理的なパワーが伝わってくる。
ちぎれて剥がされた様々な物質は、頭上の薄日とはかけ離れた、荒天の日の激しさを想像させる。
新原田橋を拝見(体験)する前に、途中、記憶にも残っていた仮設道路へと続く道を見つけ、降りてみることに。
仮設道路は、川に盛り土や仮設橋を架けて形成されていた。
そのため当時は、本来なら渓谷の対岸を結ぶ橋(河川の上部)を通過するところを、渓谷の片側から一度河川の側に降りて仮設道路を利用し、再び対岸へとあがっていく、という経路をとっていた。
仮設道路へと続く道は、当然すでに封鎖。
そこはもう、「道」ではない。
時の経過と道の消失に寂しさを感じるとともに、現在のことに気持ちを移す。
カーナビの地図には、旧原田橋が載っている。
200mほど手前に架けられた新橋の位置は、カーナビ上ではただの河川に過ぎないが、私の目の前には目新しい構造物として現れる。
想像を越えた立派な橋。
非常に高い位置に架けられ、山々に囲まれた心地よいドライブ。
左に谷あいの風景が広がり、右側には河川を見下ろす。
河原が白く光り美しい。
以前別の場所で間近に見た天竜川は、様々な色の石が集まり、多様で雄大で、それだけに不気味でもあった。
しかしこの位置からは、白くて美しい。
見る位置から、こんなにも違うのだろうか。
右往左往しながら、ドライブを終え、河原へと降りたってみる。
水量は少ないが、川幅は非常に広い。
至るところに見られるちぎれた網や金属片は、この川の別の光景を示している。
普段行儀のいい道路に慣れた私達からすると、川の道は複雑で方向すら分からなくなる。
流れを頼りに歩みを進めると、二股に別れた河川の合流点が。
頭の中にある地図を思い返し、川の流れる方向から橋の位置を把握。
数十メートル進むと、先ほど渡った橋を下から見上げることに。
やはり立派である。
人々の祈りにも似た、様々な思いが感じられる。
待望の橋(道)だったのだろう。
さらに歩みを進めると、何やら盛り上がった場所が。
仮設道路の名残だ。
記憶から消えていく「道」、物理的にも消えいく「道」と未来を形成していく「道」。
今はまだ、分かりやすく対比的に共存していた。

鈴木

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