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はい、原田橋

「嘘」という言葉には何とも強い響きがあります。
「嘘」の対岸に「本当」という言葉がちらつき、その二項対立の中で「どっちなんだい?」「はっきりしてよ」と出口をふさがれているようだからかもしれません。
嘘は正誤と仲がいいので、例えば私の言動に少しでも誤りがあれば嘘つきになってしまうし、誤りが認められなければ本当つきになれます。
情報の方はというと、(主観的な)フィルターと仲がいいので、情報の正誤の判別というのは曖昧な場合が圧倒的に多く、本当つきの私も、時には嘘つきになってしまうのが世の常なのではないでしょうか。

そんなこんなで、、
はい、原田橋。

#原田橋
情報の時代にそれをたどれば、ほぼ100%の方々が事故の話にたどり着くことでしょう。
2015年に浜松市天竜区において、土砂崩れとそれに伴う橋の崩落、そして2名の方が命を落とす、悲しい事故が起きました。
ここに示した出来事は、細かい言葉の選び方など多少の間違いがあったとしても、おそらくは正しいと言えるものです。

浜松市天竜区は私の生活地域ではありません。
興味を持ってその場所を訪れでもしない限り、私にとってその事故は、ネットで見かけた関東での橋の崩落やラジオから聞こえてきた北陸での土砂崩れのように、遠いどこかの痛ましい話として、どこか「質量」の乏しい「情報」にすぎなかったのかもしれません。
しかし、2015年当時(事故後)、水にまつわる作品制作のために佐久間ダムを幾度か訪れていた私にとって、当時の仮設道路を実際に通過していたその経験、目の当たりにしていたその光景は、その情報の中に隠れた輪郭や形、重みをもう少し知りたいと思う動機としては、充分だったように思います。

以前、目の見えない方から、「見える」というのはどういうことなのか、という話を聞きました。
2022年。
事故から7年、新原田橋の開通から2年 。
新橋の開通という出来事すら遠く薄い記憶となってしまっていましたが、時間ができた折、実際にこの目で「見て」その場所に「触れる」ことにしました。
あまりに近視眼的な方法ではありますが、で、偏りとムラに満ち満ちてはいますが、少し時間に沿ってお伝えできれば、と。
これこそ(主観的な)フィルター満載です。
「情報」はどんな皮膚感覚を刺激するのでしょう。

鈴木

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