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20230523

あの静かに橋を渡る車の音が聞きたくなった。
周囲の壮大な山々との比較のせいか、単純に、離れた場所から橋を眺めていたからか、普段は耳障りに感じることもある車の走行音が、妙に静かだった記憶が強く残る。
そのため、耳を近づけてみたくなった。
展覧会や作品という形を考えれば、おそらく現地を訪れられるのはこれが最後だろう。
雨が降っていた。
雨男にとっては、いつものこと。
しかし、決して強い降り方ではない。
降っては止み、時折晴れ間がのぞく。
谷からは霧が立ち上がり、立ち上がっては消え、景色が次から次へと変化していく。
耳から入ってくる情報もまた。
強い雨が周囲の音を消したかと思えば、遠くから車の音が近づいてくる。
濡れた路面は、車の走行音を際立ったものに。
前回の橋との距離は、やはりものごとから視覚だけを抜き取ったような、異常な状況だったことを知る。
その音は、前年の10月に見た光景にも、今年2月に目にした景色にも、血を通わせるような、そんな振動だった。
水の音もまた、とても心地よかった。
この「水」こそが、8年前の事故に大きな影響を与えていることを忘れさせてくれるほどに。
ふと、大きく立派な橋にだけ気を取られていた自分に気づく。
新しいものは、時に古いものを覆い隠してしまうことがある。
仮設道路が、仮設道路の記憶が消えていくように。
旧原田橋はどこにあったのだろう。
橋げたと橋げたの隙間から対岸の法面が、急な崖が、見える。
谷の深い過酷な環境。
200mほど上流。
古い橋げたと工事の跡が見える。
ここからでは、対岸の水の音などは聞こえないが、「目」で触れることはできた。
あの場所が崩れ、「道」は閉ざされたのだ、と。
見ることを起点として、その場所の過去と未来に思いを馳せ、想像が可能になるようでもあった。
しかし、未来というのはそう簡単には想像できないようで、、、

この10日後、私は「道」が閉ざされることの意味を、身をもって知りました。
「道」、とても大事です。

鈴木

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