新しい空気を吸う日。

先ほどまで配信されていたchoose life projectの「私たちはまだ気候変動を止められる 地球のために今からできること」を視聴した。

『サンデーモーニング』のコメンテーターでもおなじみのフォトグラファー・安田菜津紀さんをはじめ活動団体fridays for futureの東京支部・岩手支部の学生の方々、そして元ブルゾンちえみこと藤原しおりさんなどの専門家による座談会形式。

議論自体は誰もモメることなく淡々と進み、学生たちも感情的になることなく、もっと若者世代にも関係する気候変動問題に興味を持ってほしいこと・自分たちの活動報告などを懸命に伝えていた。それに呼応するかのように藤原氏も、もっと発言力のある人が様々に意見を言えるよう関心を作ることが大切と、かつての自分のキャリアがあるからこそ言える貴重な意見を出していた。

僕自身はそこまで環境問題について真剣に考えてきたわけではないけれど、それぞれの意見を聞きながら段々と自分の心の中である思いが芽生え、そしてそれが徐々に大きく膨らむ感覚を覚えた。

それは、結局突き詰めればこの国が美しいとされてきた「空気を読む」文化を変えないと環境問題含めて解決しないのでは?ということだ。

学者が議論の中で「今の政治家の上層部に環境問題を問いつめても聞かない。それはこれまで環境破壊の恩恵を受けてきたからだ」と言った。確かに、この国の経済成長の歴史はそのまま環境破壊の歴史として使える。今の与党の上層部は、かつての成長を起こした男たちを見て政治哲学を学び、同じ恩恵を受けたいと自らその歴史物語の語り部を受け継いでいるわけだ。

しかし、その物語は新しく展開しなければいけない。それは全くカタルシスのないものかもしれない。ただ、それにベテラン勢は関係ない。重要なのは若手の議員・経営者・一般市民が声を上げることだ。それを静観し、ミスを起こした時にどうするか、そっと助言をするのがベテランの役目である。

ただ、このシステムを生み出せないのが日本の悪いところだと僕は思う。それは個性を尊重しない教育が悪いのか原因は色々あるのだけど、少なくとも人と異なることを言う・行う時に「空気を読む」のを止めることでグッと前進する問題が沢山ある気がする。空気を読む、を言い換えれば暗黙の了解に頼る、慮る(おもんぱかる)、だろうか。

世間を包む空気は「自己責任論」だ。貧しくなったのも、多くを勝ち取れないのも、人生がうまくいかないのも自己責任。努力が足りない…の一点張り。環境問題だって、そりゃ地球に優しい方がいいけど、経済回らないんだからしょうがないよね…という自己正当化、自己催眠にかけているだけだ。「わかっちゃいるけど、察してよ」の空気で今まで日本は悪い方向へ何度も流されてきた。

グローバルイシューの解決に上への配慮は関係ない。誰にリスクを背負わせるかよりも皆が適量のリスクを背負いあう社会であってほしい。fridays for futureの面々の語る言葉を聞いて、彼女たちが起こす空気を吸いたいと心から思ったのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?