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愛でも恋でもなく、どちらでもある。確証がないすてきな気持ち。

はじめまして、こんにちは。まーちゃんです。
人との繋がりやコミュニティに興味を持ち、いろんなゲストハウスを巡るようになりました。趣味、ゲストハウス巡りって言いたくて。
だいぶさぼってますが、ゲストハウスでの出来事をnoteに綴っています。
今回は、「自分がもつ、ここちよい気持ち」のお話。


LGBTQという言葉を知ったとき、
なんて、すてきなんだろうと思いました。

聞く人によっては、なんだこいつって思うような発言かもしれないけれど。

いろんなことが区切られているこの世界で、
自分というものが、男か、女か、女が好きか、男が好きか、
どちらでもあるのか、ないのか、そもそもなんなのか、
悩んでいるたくさんの人たちに対して、
自分自身に対して、
グラデーションという選択肢を与えてくれた、と思っています。

わたしは自分のことは、これまでの概念上、「女」だと思っていて、
性的指向は「異性愛」だと思いながら生きています。

でも、それが本当かどうかなんて、わからない。


知り合いとか、
友達とか、
恋人とか、
家族とか、
同期とか。
名前がたくさんある。

でも、最近のわたしは、
「名前をつけにくい関係」の人がここちよく思っています。

恋愛的な好きなのかわからないけど、ずっと一緒にいたいと思う人。
知り合いって呼ぶには遠い感じするけど、友達ほど近い感じじゃない人。
友達って呼ぶと軽く感じるから、そう呼びたくない人。
年に1度しか会えないけど、信頼できる人。
家族じゃないけど、おかえりって言ってくれる人。

名前がある枠組みの中でも、
この人は、この名前よりも、もっと違う存在。
って考えたりします。


高校生までの自分は、
非常に自分勝手な、わがままな人間だったので、
平気で人を傷つけて、それに気づけないような人で。
見事にはぶられて、学校に行きたくなくて。
そんな、黒くて、目を向けたくない、時間もありました。


痛みを知ったから、人の痛みを考えるようになったのか。
叱ってくれる人に出逢えたから、自分を見つめなおすことができたのか。

わからんけど。
言葉にするってものすごい難しいけど。

結局は、自分のことは、自分がよくわかってて、
自分にとってのここちよさってなんなのか。
考えたときに、やっぱり、わたしは「人」にあるんだなって。


愛なのか、恋なのか、なんなのか。
なんなの、ばっか言ってるけれど、
確証がないこのすてきな気持ちを大切にしたいな。


大丈夫?って言われたいがちなわたしのために、
大丈夫?ってお家に遊びに来てくれて、どうもありがとう。


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