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病院を辞めて良かったと思えること

正確に言えば、松江赤十字病院を辞めて”本当に”よかったと思うこと。

ですね。

松江赤十字病院、まぁ、簡単に言えば出世レースに巻き込まれた形で、弾き出される形だったと言えばいいのでしょうか。当時リハビリテーション科を管理していた元院長に「辞めてしまえ!」と怒鳴られたので、じゃぁ、ということで辞めさせていただいたのです。で、個人事業主として、今の「セラピースペースながしま」を起業したのです。

5年経って、病院を辞めてよかったと思うことが増えました。

一つは、再びバイクに乗れる時間ができる様になったこと。これは、まぁ大きいですね。(^^;

もう一つは、脳卒中の長期経過をフォローをさせていただきながら、身体運動機能と言われるものや、高次脳機能といわれるものが長期的にどの様な経過になっていくのかといった事を経験できている事。これは、近年の急性期・回復期・慢性期という分類で分断されたリハビリテーションの中では、経験できる人は数少ない事でしょう。私は今とても貴重な経験をさせていただいています。急性期病院では、脳の可塑性というものがあるということを知ってはいても、今ほど実感できるものではありませんでした。本当は、脳卒中リハビリテーションに関わるセラピストの全てが一度は経験すべき事だと、心の底から思います。初期に行われたアプローチを今までの経験から推測しつつ、何が正しかったのか、何が間違っていたのかという事を検証しながら臨床(本当は、臨床という言葉は適切ではないのですけれど、わかりやすい様にこの言葉を使わせていただきます)の経験を積んでいくことができます。これは大きいですよね。中堅クラスのセラピストには、ぜひ一度自費リハビリという形で病院を飛び出して経験して欲しいなぁと思ったりします。中堅であれば、再び病院に戻ることもできる可能性が高いですしね。私はもう戻る気はありませんけれど。戻ることもできないでしょうし。(^^;

さて、本当に良かったと思えること。

それは、思考が自由になったことなのです。病院に勤めているときも、リハビリテーション医療や、医療そのものに対する疑問はあったのです。しかし、その情報を調べ、発信することは、「松江日赤」の作業療法士がこんなことやあんな事を言っているということになりますので、病院の他のスタッフに迷惑をかけることになります。ですので、考える事をやめて、発信もしないという選択をしていたのです。だけど、個人事業主になれば、発言の責任は私個人にしか存在しないわけです。病院に勤めている時、ボバースコンセプトのインストラクターを目指したこともありますが、病院の都合と、私の能力の低さから諦めることになったのではあります。が、今となってみれば、何かの責任を持つ立場にならなかったことが、返って思考の自由度を広げてくれた様に思います。

批判は全て私個人に。ですから、自由に物事を考えて、自由に情報を発信できるのです。これはとても快適です。
(๑>◡<๑)
自由に情報を集め、自由に思考を巡らせることができる。そして、それを利用者さんに反映していく。そして、情報を発信する。
全ては、自分の責任ですから、誰にも迷惑をかけることがないのです。(いや、やっぱりそれでも心配をかけたり迷惑をかけてはおりますが・・・)
まぁ、私が個人的に敵を作ってしまおうが、批判されようが、それは私個人に関わることで、他の人や団体に対する批判はあり得ません。もし、私を介して他の人や施設、団体に対する批判をされることがあっても、それは筋違いなのです。

これは本当に良かったと思います。

良いことばかり書いても仕方がないので、よくなかった事も挙げていきますね。

一つは、収入が激減し、不安定になったこと。まぁ、私の年齢であれば、それはまだいいのです。

もう一つは、私を信頼してくれていた数少ないスタッフを置き去りにしてきたことであります。これはずっと心に引っかかってはいるのですけれどね。

保険外リハビリで経験できることは、病院で経験できることとは、質が異なるのです。
結果は全て自分の責任。その代わり自由です。
理屈なんてどうでもいいのです。
特に知識、技術にある程度自信ができてきておられる中堅のPTやOTはチャンスなのだと思います。(しつこい?)

どうぞ、保険外(自費)リハビリの世界に!


自己責任で・・・


写真は、私にとって自由と自己責任の象徴。大好きなバイクなのです。
(๑>◡<๑)

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