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ホーリズムとリハビリテーション

ホーリズムとは、簡単にまとめれば「全体は、部分の総和以上のものである」とする考え方です。
時計を分解して、様々な大きさの歯車やネジなどのパーツにします。それぞれの形を細かく科学的に分析し、それを寄せ集めたら時計になるかと云えばそうでは無いですよね。それらはただの金属などの物質でで作られたものの寄せ集めにしか過ぎず、壊れた時計であって、時計ではありません。

分解された時計


「生命」というのも、炭素、水素、酸素、窒素、硫黄、リン、鉄といった元素が組み合わさって出来ているものですが、これらの元素を分析し、いくら集めても生命にはなりません。
脳というのも、神経細胞をかき集めたら脳になるのかと云えばそうではありませんよね。
あ、言語もそういった側面がありますね。言葉の指し示す意味だけがすべてを表しているわけではなくて、その言葉が用いられた時の環境や用いる人の表情、発生される言葉のトーン、様々な要素が組み合わさって、意味として成立するものです。
あ、ちょっと例がくどくなりました。(^_^;)

数世紀にわたりデカルトの要素還元主義的な方法論が近代科学を支えていた様に見えます。
デカルトの意図が正しく理解されて現在の形になったか否かは私には解りませんが、現代のリハビリテーション医学の分野においては、要素還元主義による科学的手法を用いた研究、研究結果が多く存在しているのは間違いないと思います。
筋力/関節可動域/四肢長/反射検査/知能検査/上肢機能検査/歩行スピード/高次脳機能検査/言語機能検査/FIM/BI...etcと細分化した数多くの検査が存在していて、それを用いて、人の行動や運動の改善を図り、リハビリテーションの効果を検証している、或いは検証しようとする研究手法、果たしてそれは正しいのでしょうか?

臨床経験の長い方はおそらく、これらの検査では表すことの出来ない要素が存在していることに気が付かれておられるのでは無いかと思います。

そもそも人というものを科学的に捉えようとする際、デカルト的な要素還元主義と云った手法で正しいのでしょうか?
私はこういった研究手法が正しいとは思わないのですが、こうした要素還元主義的な手法を用いるしかないのであれば、その手法の限界(適応範囲)を明確にすべきだろうと思うのですね。

そして、ホーリズムを科学的に用いることが適切であるとして、それを科学的に検証するのであれば、どの様な思考、手法が必用であるのかと言ったことを考えなくてはなりません。

どちらにしても。
リハビリテーション医学というものが創られた出発点から疑い、考え直してみる必要がありそうな気がします。

おそらくではありますし、私見ではありますが、科学というのは常にある情報や行動について正しいのか否かを考え続けることであって、既存の科学的な手法によって導き出された結論らしきものを何の疑いも持たずに信じることではないのです。
考え続けることを辞めてはいけないのだと思います。

患者さんにリハビリテーションを提供している時も。その結果を検証する際も。
既存の科学的知識に基づきながらも科学的に根拠があると言う言葉自体に疑いを持ち、目の前の人の反応を観察し、推測し、考え続けることが、科学的なアプローチだと云うことが出来るのだろうと思うのです。
これを、Thinking Therapyと云います。

ところで、最近あかちゃんの研究に関する動画を知りました。
そのままリハビリテーションの研究に役立つのかどうかは色々考えてみないと解りませんが、母集団が少ない際の観察による研究です。
「赤ちゃんの驚くほど論理的な心」

この研究手法は非常に興味深いです。

話はそれますが、この研究で見られるあかちゃんの反応は、言語に基づかない論理性が存在していることを示しています。感覚そのものが持つ論理性ですね。それも非常に興味深いので、是非見てみてください。

話を元に戻します。

繰り返しになりますが、科学的なアプローチを目指す際には、EBMなどを「科学的に証明されている」と勘違いして臨床に用いてはいけません。科学的な知見とは常に検証されるべきものなのです。

かりに、「科学的に証明されている」と考えてしまうことがあるのであれば、それは「科学」という名前を借りた「宗教」と同じ類いのものです。「宗教」が悪いといっているわけではありません。それですくわれる人は良いのです。ただ、それは「科学的」ではないという事です。

Thinking Therapy〜科学的であろうとするのであれば、考え続けることを止めてはいけないのです。

ホーリズムの概念から、リハビリテーション医学で行われている研究や臨床を眺めてみると、今まで気が付かなかったことに気が付いたり、今まで感じていた疑問に対してより深い考察が出来たりするかもしれません。

また、目の前の患者さんを,違う視点で観察したり評価したりすることになるのではないかと思います。

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