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東日本大震災から10年

どうも、山野コアラです。

今日は、東日本大震災が起こってから10年ですね。
10年前は、19歳でした。

当時の記憶を思い出して、断片的ですが書いてみました。

地震の発生時

学生で、6時-14時でバイトしたあとだった。
当時の彼氏と会っていた時に、地震は起こった。

私は「あー、地震かぁ。」くらいに感じてたのですが、当時の彼氏は、「これはすごい地震だ!外に出よう!」と慌てていたのを、よく覚えています。

外に出てみると電線が揺れ、人々が同じように慌てふためいていました。

とりあえず、テレビをつけて状況を確認。

すると東北のほうで、かなり大きい地震が起こったということを把握しました。

地震の直後、アルバイトをした

アルバイトのメンバーが交通機関の乱れによって入ることができなくなったので、代わりに私が入りました。

わたしは、ファーストフード店でアルバイトをしていたのですが、地震当日は、よく売れていました。
土日の昼ピーク以上だったかと記憶しています。

お客さんは、なぜ訪れていたのかというと、料理ができなかったから。
ガスが止まっていた。
スーパーにも品物がない。
そんな状況でした。

ちなみに次の日が土曜日だったのですが、
ハンバーガーを作る資材も届かなかったので、
ポテト・ドリンクだけを売るとかそういう店舗運営をしていたと記憶しています。
途中、ポテトもなくなって、ドリンクのみの販売でした。
この日も、地震当日同様、かなり混んでいました。

あるお客さんの一言

その中ですごく記憶しているのが、あるお客さんが話しかけてくれますくれたことです。
こういう状況でも店が空いていると安心するのよね。

お店を開けると言う事は、何気ない日常を提供すると言う事でもあるのかなと思いました。

地震の2日後の成人式の前撮り

その震災の2日後、私は成人式の前撮りをする予定でした。
結果的には、そのまま成人式の前撮りをしました。
写真館から、「そのまま前撮りは決行します」という連絡が来て、びっくりしたと記憶してます。

震災ときくと、成人式の前撮りを思い出します。

こういう異常な事態でも、普段通り写真撮るんだ…。
と思っていました。

普段しないことをすると、先程のお客さんとは逆で、「いいのかな?」と感じていました。

被災地

震災から6年後に仙台旅行に行きました。
私にとってははじめての仙台でした。

東北の1番の都市と言うこともあり、すごく華やかな街だなと思いました。
そして建物や道路はきれいだなと思いました。

けどこの「建物・道路がきれい」と言う事は、震災で建物が崩れてしまったから再建をして、きれいな状態にあると言うこともあって、複雑な気持ちになりました。

建物がきれいということは、すてきなことのはずなのに、なぜきれいかの理由を追っていくと、震災がある。
いいことなのに、根底にはそういう事情もあって、素直にすてきと思えなかったな。

震災直後の連絡手段

当時、まだLINEがなかったので、メールで家族とやりとりしていました。
ただ、通信が混雑してて、送信エラーになっていたなと記憶してます。

アルバイト先の主婦が、wifi経由でiPhoneの機能「 FaceTime」をして、連絡取り合ったよ〜って言っていました。
すぐ連絡ついたそうです。

当時は、公共のwifiがあまり飛んでいなかったのですが、新しい技術を使うと、連絡がスムーズにとれたりするんだなーと、印象になっています。

あれから10年後

そんな今日はスーパーで笹かまぼこを買ったので、家族で食べようと思っています。

テレビで、あの時に生まれた子が10歳になったよと流れている。

時が経って、わたしは学生から母になっている。
すぐそこには、我が子が寝ている。

守りたい命、守りたい未来。
「そなえよつねに」

防災グッズの見直し、
緊急時の集合場所等、
今できることはしておきたいと改めて思った。

忘れられない、忘れてはいけないあの日。

1日もはやい復興をお祈りしています。

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