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静かなる山〜秋田太平山〜

登山前日に秋田入りして、レンタカーを借り、翌日の早朝から登ることにした。そして下山後すぐ埼玉へ帰る。

タイトなスケジュールだが、私も主人も連休が取りづらい仕事なのでやむを得ない。

ホテルの部屋からは太平山がくっきりと臨めた。秋田に住んでいた頃にはただの風景にしか過ぎなかったそれが、自分と関わりのあるもの、名前と意義のあるものとしてそこにあった。

思っていたよりも大きい。本当に登れるのだろうかと緊張が高まる。

翌日日の出前に目覚めると、山の背後に美しい朝焼けが広がっていた。

小学校の校歌を思い出した。校歌もまた、当時はその意味を考えることもなく音の羅列を口にしていただけだったが、歌詞を思い返してみればまさにそのままの景色が目の前にある。

それに見惚れるうち、なんと太平山のちょうど山頂から太陽が顔を出した。これはまさしくダイヤモンド太平。

吉兆だ、と思い込むことにした。

ホテルを辞去し、そこから車で30分ほどの登山口に送ってもらう。足として使われるためだけに休みをとって同行してくれた主人には申し訳ないが、彼は彼で観光地を回って楽しむようだ。

狭くてでこぼことした、車高の低い車では通過できないであろう林道を抜け、登山口に到着。

静かである。本当に人気がない。かなりの範囲に渡って人間のいないことが肌で分かる、不思議な空間だった。

主人も同じ感覚を得たのだろう。また今回私が選んだルートが心配でもあっただろう。見送りはハグであった。

気持ちは分かるから黙って受け取ったが、内心では、変なフラグが立ちそうで縁起が悪いなあと思っていた。ごめん。


主人の姿はすぐに見えなくなった。スマホの電波もすぐに途切れた。

私は基本的にはひとりで山に登る。太平山は私の11回めの山行であったが、それまでひとりでなかったのは2回だけ、次男を連れていたときだけだ。

そして、奥多摩はともかく、埼玉の山では人に会うほうが珍しい。誰にも会わないまま山行を終えたこともある。つまりひとりには慣れているし、平気だと思っていた。

しかし太平山で抱いた心細さは別格であった。繰り返すが、本当に人気がないのである。

関東の里山では、少なくとも登り始めにはまだ人里の気配を感じられる。車や電車の音、防災放送が聞こえることもあるが、太平山にはそれらが一切なかった。自然しかなかった。

こうなると熊が心底恐ろしい。あまり鳴りの良くない私の熊鈴は、辺りはこんなに静かなのに全く響かない。一生懸命手で揺らしながら歩いた。


本格的な登山道に入ると、恐怖の対象は熊から道の悪さに変わった。これは初心者の私に踏破できる道なのか?と。

懸念した通り、かなり荒れていた。登山道を示すピンクテープは落ちているし、狭いし草ぼうぼうで道である確信が持てない。

もちろん登山アプリのGPSは起動しているが、進むべき方向は分かってもどれが道なのか判然としない。

一度派手に間違えて、本当は崖の上を歩くべきところを、下に進んでしまった。戻ろうと振り返ったが、私の技術では戻ることが難しそうな道であった。

進むことはできても戻れない。そういう道があることを初めて知った。

崖は私の身長より少し高いくらい。この高さなら落ちても死ぬことはないし、登ってしまおうと思った。

見れば、私と同じように間違った誰かがつけたのであろう、踏み均された跡がある。それに勇気を得て登り始めた。

草の根を摑んでも這い上がる、という表現を何度か目にしたことがあるが、慣用句でなくそのまま体現する日が来るとは思ってもみなかった。

ごめんねごめんねと、握った草や細い枝に謝りながら登った。単独行では独り言が増えるものだ。


このとき気づいたのだが、私の恐怖は限界を突破したらしい。

例えば日常生活でも、大変すぎて笑えてくるような状況に陥ったことはないだろうか。あれに似ている。

恐怖のリミッターが外れて妙にふわふわとした気分になってしまう。それが良いことなのかどうかは分からない。

話は逸れるが最近奥穂高岳の記事を読んでいて、2つの意見が目に留まった。

ひとつは難所に恐怖を感じる人は行くべきでない、という意見。もうひとつは、恐怖は命の危険に際して体が発する警告だから、自分はリミッターを外さないよう心がけているという意見。

普段の私は後者に添いたい。臆病な私は、恐怖心を否定されてしまったら山に登る資格を持たないからだ。怖くても自制して、対処して、登る。決して勇敢にはなれないから、そういう登山者を目指したいのである。

ただこのときリミッターが外れなかったら、私は多分太平山には登れなかった。正規のルートに戻れた時点で引き返していただろう。

命あっての物種ではあるから、怖いならそれが正解なのかもしれないが、その度に諦めていては登れる山が減ってしまう。

丸舞ルートが当時の私に不相応であったことは否定できない。しかしいつかは難所に挑戦しなければ、いつまでも初心者のままである。

次へ進むためにリミッターを外すことが必要なら、ある程度はしかたないのではないかと思う。


恐怖がなくなったわけではないが、遠く感じる。

ひとりぼっちであることも、熊の存在も、片側が切れ落ち、女性の私が両足を揃えて置けないような細い道も、とりあえずは大丈夫になった。

警戒しないという意味ではなく、無闇に怖がることはなくなった。

ほんの少しだけ山を楽しむ余裕が出てきたように思う。

考えてみれば、たとえ単独行メインの登山者であっても、ここまで山の中にたったひとりでいられる経験などそうそうできるものではない。それを面白いと感じた。この時代に、私のような凡人でも、こんな冒険ができるのだと。


ふとスマホが鳴った。電波のある場所に出たらしい。見ると主人からの大量の不在着信の通知であった。

主人は登山中の私(というか私のスマホ)の居場所が分かるアプリを入れているが、電波がなければ居場所の送信も当然止まる。

山の中でそのような状況は珍しくないが、今回ばかりは主人もさぞかし気を揉んだことであろう。

休憩がてら主人に安心を与え、また歩き始めた。

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