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紙媒体はいつまで世帯で語るのか ~続・続・視聴率という厄介な代物〜(2021/5)

一昨年の6月と昨年の7月に『視聴率という厄介な代物』と『続・視聴率という厄介な代物』という記事を書きました。いずれも境治さんが主宰する Media Border に投稿したものを、遅れてここにも併催したものです。

そして、その続編をまた Media Border に投稿しました。

note では例によってほとんどスキもついていませんが(笑)、今回も同じ形でここに併載します(1箇所だけ文言を改めましたが)。

毎度書いていますが、Media Border の有料会員になると、私よりも遥かに優秀な書き手の皆さんが物したいろんな記事が読めますので、そちらもご検討されては如何でしょうか?(note 版もあります)。

紙媒体はいつまで世帯で語るのか

最近ネット上の記事を見ていて思うのですが、新聞社(スポーツ紙を含む)は一体いつまで番組平均世帯視聴率で番組を語る気なのでしょう?

実際に番組を作って送り出している放送局側は、まあ、地方によって局によって濃淡はあるでしょうが、次第に番組平均世帯視聴率から各種の個人視聴率にシフトしつつあります。

私が言いたいのは、テレビ局がそうしているのだから、記事を書く紙媒体もそれに従えというようなことではありません。

調査の世界では、個人財か世帯財かという区別は大きなポイントとなります。

つまり、「あなたのおうちには自動車がありますか?」と訊くのか、「あなたは自分の自動車を持っていますか?」と訊くのかで所有率の数値は大きく変わってしまいます。

車は基本的には世帯財です。中学生が自分の車を持っているはずがないので、それを個人ベースで調査してしまうと、場合によっては間違った考察を導く可能性があります。

テレビもまた世帯財です。歴史的には、一家に1台だったものが高度経済成長期に2台目、3台目のテレビも普及して、確かビデオリサーチの調査では1世帯8台目のテレビまでが調査対象になっていたと思います。

そうやって8台目までフォローすることによって、テレビ視聴を世帯単位で捉えることができていたわけです。

そういう状況だったのが、地デジ化によってアナログ・テレビはデジタルに買い換えないことには何も映らない粗大ゴミになり、それを機会に2台目以降のテレビは買い換えを控えられ、現在はまた一家に1台という元の状態に戻りつつあるように見えます。

でも、一家に1台になったからそれは世帯財かと言えば、昨今の状況を見ると必ずしもそうは言えないんじゃないかと思うのです。

子どものころは自分の部屋でラジオを聴いていたという世代もあるでしょう。自分の部屋に2台目のテレビがあったという世代もあるでしょう。でも、今はスマホがあれば充分なのです。

自家用車はお父さんの名義になっていても家族全員を乗せる限り世帯財です。洗濯機は家族全員の衣服を洗う限りは世帯財です。では、テレビはどうでしょう?

子どもたちが居間に行って家族みんなでテレビを見る時間がある限り、テレビは世帯財です。ただ、その時間が随分減ってきているのであれば、テレビの世帯財としての特性は次第に失われつつあると言うべきだと思うのです。

そういう時代の変化を見渡した結果、私たちはもう世帯単位の調査ではどれくらい見られたかが分かりにくくなったなという判断をして、個人視聴率にシフトしてきたわけです。

新聞社はテレビという商品をどう見ているのでしょう? テレビ番組という商品をどう分析しているのでしょう?

いや、一体分析しているんですか? 「急に個人視聴率なんて言っても読者には分かんねーよな」という安易な発想に耳まで浸かっているのではないですか?

新聞社は一体いつまで番組平均世帯視聴率で番組を語る気なのでしょう?

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

視聴率については、こんな記事も書いています:


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