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君はいつごろミュージックシーンに登場したか

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人生と音楽の関わり合いについて書いています。
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#CD

僕がミュージックシーンに登場したころの話

以下は私が自分のホームページで、2001年8月に『キーを叩く』というタイトルで連作音楽エッセイを開始したときに巻頭に置いた文章です。 ホームページのほうは閉じてしまいましたが、この note にも音楽関係のジャンル(マガジン)を建てることにしたので、今回ここに少し加筆修正して再掲したいと思います。 君はいつごろミュージック・シーンに登場したか?僕の友人の黒谷君によるとても良い表現があります: 「君はいつごろミュージック・シーンに登場したか?」 この言葉の意味するところ

僕が死んだらこれらの CD は…

当たり前ですが、僕も若い頃は自分の死なんてまるで考えたこともありませんでした。それがこの年になって、高橋幸宏が、岡田徹が、そして坂本龍一が亡くなったと聞くと、自分は彼らよりは少し年下だけれど一体いつ死ぬのかな、などと考えてしまいます。 人は死ぬものだから、いつの日か自分が死ぬのは(怖いか怖くないかはともかくとして)仕方のないことだと思っています。ただ、自分が死んだら自分が残したものはどうなるのかなと考えると心残りはやっぱりあるんですよね。 たとえば僕が自分のホームページや

CDラックは語る

前に本棚について書き、その中でついでに CD ラックについても触れた。 今回はその続きで、僕の CDラックの変遷について書く。 僕は上記の記事で「本は本棚一杯分しか所有しない」と書いた。それは音楽CD でも同じで、CD は CDラック一杯分しか所有しないことにしている。 しかし、今では本は専ら Kindle で読むようになったのに対して、同じように音楽は基本的にデータで所有するようになったかと言うとそうではない。やっぱり CD で持ちたいアルバムがあり、棄てられないシン