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君はいつごろミュージックシーンに登場したか

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人生と音楽の関わり合いについて書いています。
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#歌謡曲

僕がミュージックシーンに登場したころの話

以下は私が自分のホームページで、2001年8月に『キーを叩く』というタイトルで連作音楽エッセイを開始したときに巻頭に置いた文章です。 ホームページのほうは閉じてしまいましたが、この note にも音楽関係のジャンル(マガジン)を建てることにしたので、今回ここに少し加筆修正して再掲したいと思います。 君はいつごろミュージック・シーンに登場したか?僕の友人の黒谷君によるとても良い表現があります: 「君はいつごろミュージック・シーンに登場したか?」 この言葉の意味するところ

僕が死んだらこれらの CD は…

当たり前ですが、僕も若い頃は自分の死なんてまるで考えたこともありませんでした。それがこの年になって、高橋幸宏が、岡田徹が、そして坂本龍一が亡くなったと聞くと、自分は彼らよりは少し年下だけれど一体いつ死ぬのかな、などと考えてしまいます。 人は死ぬものだから、いつの日か自分が死ぬのは(怖いか怖くないかはともかくとして)仕方のないことだと思っています。ただ、自分が死んだら自分が残したものはどうなるのかなと考えると心残りはやっぱりあるんですよね。 たとえば僕が自分のホームページや

すぎやまこういちの訃報に触れて

すぎやまこういちが亡くなった。しかし、どの訃報を見てもほとんど『ドラゴンクエスト』のことしか書いていない。Wikipedia でさえ、ドラゴンクエスト関係にかなりのスペースを割いている割には、まともな楽曲作品リストさせ載せていない。 これは僕にとってはとても残念なことだ。 僕にとってのすぎやまこういちは、さすがにザ・ピーナッツの『恋のフーガ』のときには認知していなかったけれど、ザ・タイガースの初期の作品を書いた人というイメージがとても強い。 『僕のマリー』 『シーサイド

筒美京平さんに

筒美京平さんが亡くなった。戦後の和製ポップス/J-POP の世界で、他の誰にも到達できない最高の作曲家だったということに、異論を差し挟める者はいないだろう。 僕なんぞがあれこれ言うことは何もない。だが、京平さんの曲に想い出は山ほどある。それで、京平さんの訃報を知ったこの日に何かをしたいという切実な思いに駆られて、彼の膨大な作品の中から僕の好きなものを 10曲選んでみた。 京平さんのベストテン、などと言うつもりは全くない。明日また 10曲を選び直したら1曲も重ならないかもし